東の空を被う暗闇の帳が開けはなたれる頃、イフリータの心には対照的にこの上無い虚脱感に覆われていた。
　彼女はつい先程、自分の大切な人を自らの手で、二度と戻れぬかも知れる異界の地に送り出したばかりなのだ。
　その少年との運命の別れから今日まで、彼女は再会の時を待ちながら１万年の時を眠り続けて来た。エネルギーの消耗を最小限に抑え続けるため、必要最低限の自己管理機能だけ残して。辛いと思ったことはあったが、これほどまでの虚脱感を感じることはなかった。少年の残してくれた思い出が彼女を慰め続けてくれたし、なによりも時が満ちれば再び少年に会えるという事実が彼女に希望を与え続けてくれたからだ。
　しかし一時（ひととき）の邂逅の後──それは、その少年にとっては始めての出会いだったわけだが──、彼女に残されたものは少年との思い出と、残りわずかなエネルギーだけだ。
　この東雲高校は少年との思い出の場所だった。伝説の鬼神にして最強兵器の異名を欲しいままにしてきたイフリータも、その実態はただの機械人形にしか過ぎない。そんなイフリータを呪縛から解放し、人間らしい心を与えてくれたのが、その少年だった。少年が彼女に与えてくれた思い出には、彼女はこの高校の一生徒として少年たちと楽しく暮らしていた。それが一万年の眠りの中で、どれほど自分を慰めてくれたかは計り知れない。もしそれが無かったら、既に人間の心を得てしまったイフリータが一万年の孤独にはきっと耐えられたなかっただろう。
　その思い出を慈しむように、彼女は校舎の教室の中を、音楽室や実験室を、体育館を見て回った。この教室では隣の席にいた少年が欠伸しているのを見て、微笑ましく思ったのだ。この体育館では、文化祭でロックボーカリストとしてギターをこなしていた少年を、観客席から黄色い声援を出して熱狂していたのだ。そしてこの校庭では、クラスメートの少女たちと一緒に１００ｍ走で一等を獲得する誠を応援していたのだ。
　そういう懐かしい思い出に浸りながら、しかし彼女は不意に悲しくなった。偽りとはいえ１万年間浸って来た思い出の現場に立っているのに、自分は涙を流していないのである。破壊兵器である彼女には涙腺などというものは付けられているはずもなく、そのため彼女がどれほど人間の心を獲得していようとも、涙一つ流す事は出来ないのだ。
　不意に、目がかすむような感覚を覚えた。一瞬で元に戻ったが、それがイフリータの心に新しい感情を与えた。１万年の眠りの間に少しづつ消耗したエネルギーが、既に十分保たなくなっているのか。おそらくあと数日も持つまい。それを悟ると、彼女の心は絶望感に襲われたのだ。
　少年は自分を迎えに来ると約束してくれたが、それが実現できる可能性は極めて低い。完全に異なる世界に住んでいた彼が、文字も文明も異なる異世界の、それも既に失われて久しいテクノロジーの最先端である神の目の原理を解明できる可能性は無きに等しい。それを解明したとして、果たして実際に次元移動を操作できるようになれるのか。おそらく自分のエネルギーが切れてしまう方が先だろう。
　東雲高校を巡りながらイフリータは、そんな虚無感に襲われていた。１万年の眠りは、それでも確実な再会という事実が彼女の心を繋ぎ止めてくれていた。しかし今彼女を待っているのは、限りなく不可能に近い不確実な約束に過ぎないのである。おそらく自分は、このまま少年との思い出を抱えたまま機能を停止してしまうだろう。そんな諦めにも似た観念が彼女の心を支配していた。
　そして彼女は東雲高校の校庭に出た。すでに東の空は明るく照らしはじめている。フェンスにもたれながら朝日を眺めていたイフリータだったが、しかしそれすらも、彼女の心の虚無を打ち払うことは出来なかったのか、彼女は深くうつむいたのである。
　その時、彼女の瞳孔に、まぶしい光が侵入して来た。瞳孔を絞って光量を調節しつつ何事が起きたのか確認すると、自分の前にある校庭で、朝日よりもはるかにまぶしい光源が発生していたのだ。
　やがて光が収まると、その中央に人物が立っていた。イフリータには最初、その人物の姿に違和感を感じていた。その人物は、東雲高校の制服ではなくロシュタリアの衣装を来ていた。頭身は少し高くなっている。その人相は幼さの残る少年のそれではなく、青年といっていい凛々しさを漂わせていた。しかしその笑顔に表れた優しさは、紛れもなくこの１万年間自分が思い続け、そしてつい数刻前には異世界に送り出した少年そのものだった！
　イフリータは駆け出した。先程まで彼女の心を支配していた虚無という名の暗闇は、完全に打ち払われていた。そして数刻前までは少年だった青年の胸の中に飛び込んで行ったのである。
　その青年の名は水原誠、鬼神だったイフリータに人の心をもたらした、運命の恋人である。



「マコト、会いたかった。マコト」
「僕もや、イフリータ」
　誠の胸の中でイフリータは、心地よい違和感に包まれていた。つい数刻前に誠に抱きついた時には、彼女は膝を微妙に曲げ背も丸めて、首を深く下げなければならなかった。自分の知る少年は背も低く、そこまでしないと愛しい相手の胸に顔を埋めることができなかったのだ。
　しかし今ここに立っている青年はどうだろう。特に意識して屈まずとも、胸の中に身を委ねることができる。どこまでも深く、そして暖かい胸の中という場所に、イフリータはしばし身を任せていた。
　誠はきっと、自分をを迎えに来るためのだけに神の目の解析を進めて来ていたのだ。それには困難が伴ったはずだ。そのために誠は、どれほどの時を費やしたのだろうか。自分を包み込むにはあまりにも小さかった彼の胸が、今では自分を大きく優しく包み込んでくれている。その年月こそ、彼が神の目を解析して自分に会いに来るまでにかかった時間なのだ。
　それを思うと、イフリータの心の中には喜びが満ちあふれて来た。自分はどれほどこれを待ち望んでいたのか、彼女はそれを改めて自覚した。
　イフリータは顔を上げて誠の方を向いた。
「マコト、私は」イフリータは絞り出すように声を発する。「私はお前のことを──」
　だが、イフリータのその台詞は最後まで発する事が出来なかった。誠が真剣な表情で自分を向いているのに気付いたからだ。
　誠はイフリータの腰に回していた両の腕を離して、その代わりに肩を掴んで来た。そんな誠の両腕の握力が強かったため、イフリータはそれが、彼が自分に対し何か重大な事を伝えようとしているのだと識別した。
「イフリータ、僕は君に、伝えなければならんことがあるんや」
　推測した通り、誠はイフリータに向かって話しかけて来た。
「何、マコト」
「僕は──」そこで誠の声はいったん途切れた。
　一瞬、誠の表情が左にそれた。瞳孔が微妙にイフリータを避けているように動いている。そんな誠の表情に、イフリータは非論理的だが不吉な予感を感じた。
　誠は何か心を静めるかのように少し息を吸って、言葉を繋げた。そしてイフリータが予想もしていなかった言葉を紡ぎだしたのである。
「僕は、好きな人が出来たんや」
　──最初、イフリータは彼が何を言っているのか理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。思考ルーチンを意図的に停止して、誠の言葉を受け入れる事を拒否してしまいたかった。
　しかし、彼女に与えられた高い知性は、誠の言葉の意図する事を嫌が応にも理解させてしまった。もともと彼女は先エルハザード文明の技術の粋を凝らして作り上げられた存在、任務を忠実に実行するための高い理性と判断力は最初から与えられている。人間の心を得た現在のイフリータにも、その知性は損ねることなく機能しているのだ。
「それはどういうこと……」
　どういう事も無い。おそらく誠は神の目の解析にかかった幾年の間に、自分より好きな相手が出来てしまったのだ。そしてそれは間違いなく、誠と同じ人間なのだろう。
　そこまで推測できても、しかしイフリータの心はそれを認めたくは無いと訴えていた。皮肉にも、誠自身がイフリータに与えた人の心によって。
「ごめん、イフリータ──」
　そういって、伏し目勝ちに目をそむける誠の後ろから、声が掛けられてきた。澄んだ、綺麗な女性のものだ。
「誠様、この方がイフリータ様ですか」
　誠から２、３歩離れたイフリータが声の主を見ると、誠のやや斜め後ろに一人の女性が立っていた。整った顔だちにプラチナブロンドで豊かなボリュームの髪をまとめている。着ている物はエルハザードの神官服だ。清楚な雰囲気と落ち着いた丁寧な物言いは、彼女が良家の子女であることを推測させる。会ったこともなければ、誠の記憶の中にも登場したことのない女性だ。
「あ、そうそう、お互い始めてやったね」
　何も言えないでいるイフリータの所へ、誠が女性を側に呼んできた。
「紹介します。クァウール・タウラス、水の大神官にして僕の婚約者や」
　その言葉は、イフリータの心に衝撃を与えた。



「お初にお目にかかります、イフリータ様」
　誠にクァウールと紹介された少女が、丁寧に頭を下げて挨拶する。しかしイフリータの意識は、そこには向けられていなかった。
「こん……やくしゃ？」
　人間社会に疎いイフリータにとって、最初それがどういう意味を表す言葉であるのか分からなかった。いや、その言葉に対して実感を持てなかったと言うのが正しいか。
　しかし彼女の記憶素子には、その言葉の意味も記録されていたのだ。人間の男女が生涯を共につがいとして生活していく事を結婚と言い、結婚の約束をした相手を婚約者と言う。
　そして誠に与えられた思い出の記憶が──それは恋に恋する思春期の少女のものだったが──結婚と言うものが、人間にとっていかに大切なものであるかを知らしめてくれるのだ。
「マコト……、これは一体どういうことなのだ」
　やっとのことで、イフリータは声を紡ぎだすことができた。そしてその言葉は、彼女の意思に反して、今、自分がもっとも聞きたくない事を糾していく。
「やはり、人間の女性の方がいいのだな」
　結婚の目的の一つに生殖行為がある。子供を産み育て、子孫を残すためである。どれほど自分が人間の心を持ったとて、所詮は鬼神である彼女の身では誠の子を生むことはできない。イフリータはそう言っているのだ。
「そうやない、イフリータ。そうやないんや」
　誠が慌てて声を出した。
「しかし、今その女を婚約者だと……」
「そのとおりや。でも、君を迎えに来た気持ちも本当や」
「でも、私は鬼神だ！」
　イフリータの声がだんだん荒げてきている。彼女は自分の心が非論理的な思考をしているのを止められずにいた。兵器だった頃の自分には考えられないことだ。これが感情と言うものの働きなのか。
「誠様、ここはわたくしに説明させてください」
　事態が紛糾する気配になるを見かねてか、クァウールが声を出した。
「クァウール……」
「女性同士として、わたくしの方が伝わりやすいこともあるでしょう」
　そういうと、クァウールはイフリータの前に進み出て来た。
「イフリータ様、誠様のことを悪く思わないでください」
　おとなしそうな外見としとやかな声質からは想像できないほど強い口調が、彼女が強い意思をもってここにいる事を表している。その意思を感じて、イフリータは押し黙ったようだ。
「誠様は神の目の解析のために、それこそこの３年間、昼夜を分かたず頑張って来たのです。全てはあなたを迎えに来るために、その気持ちに嘘偽りがあるはずがありません」
「しかし、マコトはお前と」
「確かに誠様は、幾度か挫折しかけました。無理を通しすぎて、お体を壊されたとこもあります。その度にわたくしが誠様の面倒を見てさしあげました。それがもとで、わたくしと婚約することになったのは事実です」
「だからお前は、マコトの心をそうやって奪ったのだな」
「では聞きますが、貴方は好きでもなくなった相手のために、３年間成功する見込みもない研究に打ち込むことができると思うのですか！？」
　なおも聞き分けのないイフリータの言葉に、クァウールが強い口調で反論した。強い憤りと、そして悲しみを秘めた声だ。
「例え私と婚約する事になっても、誠様にとって一番大切なのは、やはりイフリータ様をおいて他にはいません。もし研究が成就して貴方を迎えに行くことが出来たならば、貴方はきっと生涯の伴侶に迎えられるだろうということも。私はそれを承知の上で、誠様の側にいる事を決めたのです」
　顔を下げてうつむいたまま、クァウールはそう言った。そして彼女の声は心なしか震えていたのだ。ここに至るまでに、一体どれほどの紆余曲折があったのだろうか。
「イフリータ……」
　クァウールの後ろで誠の心配そうな声が聞こえてくる。事の成り行きを心配しているのだろう。誠の気持ちはイフリータにもよく分かったが、それでもまだ、混乱した心は静まりそうにも無かった。
　そして、そんな状態の３人のすぐ近くに、再び爆発的な光が発生した。
　何事かと３人が振り向いたころには、光は収まっていた。そして光があったとおぼしき場所には、見慣れた男女が並んで立っていたのだ。
　その姿は──。
「誠様、あそこにいるのは、もしかして菜々美様と……」
「あ──っ、そこにいるの、もしかして誠ちゃん──！？」
「な、なんで僕がもう一人、現れるんや？」
「何、なんや。何が起ったんや！？」
　そこに現れたのは、陣内菜々美ともう一人の水原誠であった。



　イフリータは事態がどうなっているのか全然掴めなかった。
　突然現れた女性──誠の記憶によると確かナナミという名前だった──が、今までこの場にいた誠とクァウールの方に突っかかって来たのだ。
「誠ちゃん、あなた、本当に誠ちゃんなの？」
　疑いの眼でこの場にいた誠の方を睨んでいる菜々美は、そう言ってじろじろ睨むと、いきなり両手で誠の顔をなで回し、ぺちぺちと引っぱたき、揚げ句の果てには両頬を両手で引っ張ったりした。
「いてて、いて、いて、なにすんのや、菜々美ちゃん」
「うーむ、どうやら幻影族が化けているようじゃなさそうね」
　両腕を組んでうんうんとうなずいている。菜々美と一緒に現れた誠もあきれた様子だ。
「何をおっしゃっているのです、菜々美様。誠様は誠様以外の何者でもないに決まっているのではありませんか」
　失礼な菜々美の態度に、クァウールが抗議の声をあげた。しかしそんな彼女を、菜々美はいぶかしげな目で見ていた。
「……あんた、誰よ？」
「え？」
「あんた誰って聞いているの！　なんで誠ちゃんの側にいるの？　誠ちゃんの側にいていいと決まってるのは、あたしとイフリータだけなのよ！」
　いかにも絡みつかんばかりの菜々美の態度に、クァウールの側にいた誠が慌てて割って入った。
「何言ってんのや、菜々美ちゃん。クァウールは僕の婚約者やって、覚えてないんか」
「そ、そうですわ菜々美様。あの時菜々美様も、わたくしと誠様の婚約を祝ってくれたではありませんか」
　しかし、菜々美はあくまで態度を崩さなかった。一緒に現れた方の誠を引っ張って来て、もう一人の誠とクァウールの前で腕を組んだのだ。
「何バカなこと言ってるのよ、やっぱりそっちの誠ちゃんは偽者ね。誠ちゃんと婚約したのはあたしなのよ！　ねえ、誠ちゃん」
「そ、そうや。第一僕は、そっちのクァウールさんとか言う女の子には、会ったことはおろか見た事もあらへん」
　菜々美とともに現れた誠がいきなり話を振られたため、慌てて補足した。
　それを聞くと、菜々美は満足そうにうなずいて、さらに言葉を捲くし立てる。
「そーよそーよ、あんた達の正体は何、何が目的でここに来ているのよ、いいかげん正体現しなさいよ」
「正体って」菜々美の言葉に、困ったように最初に現れた誠は尋ね返した。「菜々美ちゃん、水の大神官に就いたクァウールさんを知らないはずないやんか」
「水の大神官？　嘘おっしゃいなさい。水の大神官っていったら、ミーズさんに決まっているじゃないの」
「ミーズさんは藤沢先生と結婚して退官してるんやけど……」
「ほーら、さっそく正体表したじゃない。藤沢先生は婚約と脱走を繰り返してばっかりで、いまだにミーズさんと結婚までいってないのよ。そんなことも知らないなんて、それこそがそっちの誠ちゃんが、偽者の証拠よね」
「失礼ですわ、こちらの誠様は正真正銘の誠様です。菜々美様たちこそ、目的は何なのですか」
　自分とともに来た誠を偽者呼ばわりされたのが頭に来たのか、それとも形勢不利な誠のフォローに回ったのか、クァウールが菜々美に尋ね返して来た。
「目的？　あたしたちの目的はねえ……」
　そういうと菜々美は、さっきから事態について行けずにじっと静観していただけのイフリータの方を向いた。
「イフリータを迎えに来たのよ！」
「そうや、イフリータ。一緒に帰ろう」
　そう言って、菜々美と一緒に現れた方の誠はイフリータに手を差し延べた。
「え……」
　そう言われても、イフリータは判断にとまどってしまう。第一、まだ何が起っているのか全然理解できていないのだ。
「ちょ、ちょっと待ってや。イフリータは僕が迎えに来たんや」
「そうです。誠様はイフリータ様を迎えに行くために、それこそ昼夜を惜しんで研究を続けてらしたのですから」
　慌てて割って入る、クァウールと現れた誠およびクァウールに対し、菜々美は反発した。
「何言ってるのよ！　あたしの誠ちゃんも、それこそ体を壊すくらいに研究に勤しんで来たのよ。念願かなってやっと迎えに来ることができたんだから。だからあたしだってその気持ち汲んで、第二婦人くらいならいいかなーと思って迎えに行くこと許したんだから。あんたにその覚悟あるの！？」
「わたくしも、誠様の第二婦人になるくらいの覚悟はあります。誠様が一番大切なのは、やはりイフリータ様ですし」
「ぐ……、やるわね」
　思わぬ反論をされた菜々美は詰まってしまった。おそらく菜々美の言う第二婦人の意味は、イフリータを２号さんになら認めてあげるという意味なのだろう。
「とにかく、誠ちゃんはイフリータを迎えにくるためにここまで頑張ったのよ。これだけは譲れないわ」
「わたくしだって、誠様のお気持ちを考えると──」
　今にも睨み合い、一色触発の危機を迎えようとしたそのとき、再び光の爆発が起きた。それも今度は続けて２回である。
　そして現れたのは。
「な、これは一体どういうことなんでぇ！」
「ぼ、僕が二人も？　それにイフリータの外に、菜々美ちゃんともう一人女の子がいる」
「……あたしらも含めたら、あと三人どすな」
「な、なんやこれはぁ、僕がいっぱい！？」
　現れたのはシェーラ・シェーラと水原誠のペア、そしてアフラ・マーンと水原誠のペアであった。



　４人に増えた誠とクァウール、菜々美、シェーラ、アフラの８人は一悶着あったが、やがて頭が冷えると事態の究明に乗り出した。といってもやることは、お互いの記憶を確かめあうことであるが。
　そして得た結論は。
「つまりはパラレルワールドやないかと思うんや」
　クァウールと現れた誠が簡潔にまとめた。以下まぎらわしいので誠《クァウール》と表記する。
「パラレルワールドぉ？　どういう事よ」と菜々美が聞き返す。
「あ、そうか。僕らの記憶の中では、神の目の暴走を止めにイフリータを送り出したところまでは同じだと分かったんだし。それ以降の記憶が異なってきてるけど」
　と菜々美と現れた誠が説明をする。以下ややこしいので誠《菜々美》と表記する。
「どうしてこないなことになりやったんっでしゃろ」とアフラが疑問を呈した。
「おそらく次元を操るという神の目の装置の暴走が、一つの歴史のある時点から多くの次元を作りだしたんやないやろうか。それが僕たちであり、みんなであると思うんや」
　ここで解説したのがアフラと共に現れた誠である。以下長くなるのでので誠《アフラ》と表記する。
「なんでえ。よく分からないけど、要するにみんな本物の誠ってことだな」とシェーラは強引にまとめた。
「まあ、そうなんじゃないかな」
　と自分の恋人の態度に苦笑しつつ答えたのがシェーラと現れた誠である。以下めんどくさいので省略。
「それにしても……さすがは僕やなあ。一言言っただけで分かるなんて」と誠《クァウール》が感心した。
「当然や、僕も神の目の研究に勤しんで来たさかい」と誠《菜々美》。
「それに、僕も水原誠や」と誠《アフラ》。
「自分の考える事は、やっぱり自分が一番よう分かるって事やな」と誠《シェーラ》。
　そして４人して笑いだす。
「って誠ちゃん、サラウンドで笑うんじゃないの！　そういうのを自画自賛っていうのかしら」
　同じ声４つの笑いにキレたのか呆れたのか分からないような表情で、菜々美がつぶやいた。
「まったくどすな」
　アフラも菜々美に同意するが、そんなアフラに対し菜々美とシェーラが疑惑の目を向けている。
「……なんでっしゃろか」
「アフラさんて誠ちゃんには興味ないような素振りしてたのに、どうして一緒にここに来てるのかしら？」
「まったくだ、アフラ。おめーも油断ならない奴だな」
「な、何言ってるんや、みんな」と誠《アフラ》が慌てて中に入ろうとする。
「そ、そうでっせ。うちは誠はんの研究の助手をやらしてもらったさかいに、一緒に研究の成果を見てみたかっただけどすえ」
　アフラも頬を赤く染めながら否定している。
「どーだか。こりゃあたしの世界に戻ってもアフラさんには気をつけた方がいいわねー」
「まったくだ。あたいの世界じゃ趣味じゃないとか言ってたくせに」
　菜々美とシェーラがアフラをジト目で睨みながらヒソヒソ話をする。
「ふっ、うちもいろいろあったのどすえ、なあ誠はん」
「ああ、そうやな」
　アフラと誠《アフラ》のかもし出す雰囲気に、菜々美とシェーラは呆れたような視線を向けた。
「へいへい。それはそうと」とシェーラはその視線をクァウールに向ける。「あんたが水の大神官ということは、あんたの世界じゃミーズの姐さんはめでたく結婚できたみてえだなあ」
「え、ええ」とクァウールはうなずく。
「ってことは、相手は誰だ、藤沢か」
「はい。藤沢様はミーズ様とご結婚し、大神官職を退官なされました。今では可愛いらしい赤ん坊と三人で暮らしています」
「ふーん、あの藤沢先生がねえ。こっちの世界じゃ、藤沢先生は結婚話が持ち上がるたびに脱走を繰り返して、未だに結婚してないのよ。往生際が悪いんだから」
「でも菜々美ちゃん、ああだまし討ちに近い形で結婚を承諾させられたら、藤沢先生の逃げだす気持ちも分からんでも無いけど」
　菜々美と誠《菜々美》が、自分たちの世界での藤沢の事を話しだした。一体何があったのだろうか。
「あ、脱走なら僕のところでも一回あったで」と誠《クァウール》が合いの手を入れる。
「あたいらのとこじゃあ、藤沢にぞっこんの女がもう一人現れてな。それがその女、ミーズ姐さんの古い知り合いらしくて、ミーズの姐さんも、相当かりかりきてたぜ。なあ、誠」
「先生もいい加減、自分の気持ちを明らかにすればええんやけど、どっちか一人を傷つける事になるのが、嫌やんやろなあ」
　シェーラの世界では、藤沢は三角関係を行っているらしい。
「みんな大変らしいどすなあ。その点うちらの世界では、ミーズ姐さんは結婚生活と大神官職を両立させておます」
　とアフラが話しだした。
「えー！　アフラさんの世界では、ミーズさんキャリアウーマンやってるの！？　らしくないわねえ」
「まあ、藤沢はんが無職の甲斐性なしやから、自分が稼がなあかんとかおっしゃってますわ」
「あ、そう」
　アフラの説明に、菜々美は呆れたように声を出した。
「ところで陣内は、どないしてるんや。僕のところでは、相変わらずバグロムで悪さ企んでいるみたいやけど」と誠《クァウール》が尋ねる。
「僕のところでは、イフリーナを使って馬鹿騒ぎ起こしてるで」と誠《菜々美》が答える。
「イフリーナ？　イフリータやないんか」と誠《アフラ》。
「イフリータシリーズの中の一人なんや。鬼神とは思えないほどドジな性格のおかげで、それほど驚異にならずにすんでんやけどな」と誠《菜々美》。
「イフリータって何体か生産されたらしいんやろ。僕ももう一人のイフリータに出会ったけど、ドジってことはなかったなあ」と誠《クァウール》。
「もう一人のイフリータなら、僕も出会ったことあるで」と誠《シェーラ》が話しだす。「いや、アレは僕の思い出の中のイフリータやったな。最後には消えて無くなってしもた……」
　万感の思いをこめて、誠《シェーラ》がつぶやいた。その言葉には、どれほどの思いが込められているのか。
「そのイフリータのことやけど」と誠《アフラ》が口を挟む。「誰が連れて帰ることになるんやろ？」
　その一言で、８人は顔を見合わせた。誠が４人いて、この場にいるイフリータは一人である。当然連れて帰れるのは一人だけである。
「……そうでんな。イフリータは一人しかいないんやから、当然他の３人には諦めて貰うということになりますわな」
「そんな、アフラさん」
　アフラの冷静な意見に、誠《アフラ》がとまどったような表情を見せる。
「そ、そうね。私も連れて帰ってあげてもいいかなって思ってたけど、よその世界の誠ちゃんがもっと望むのなら、譲ってあげてもいいかなー」
「菜々美ちゃんも」
「そ、そうだな。誠、誰かが諦めなくちゃいけないんだからよ」
「シェーラさんまで……」
　誠とともにやって来た女性たちは、明らかにイフリータを他に押しつけようとしていた。彼女たちは誠の気持ちを組んでイフリータを迎えに来ていたのだが、連れて帰れない事情が出来たのなら話は違う。もし自分の世界にイフリータを連れて帰れなければ、誠をそれだけ独占できるのだから。
「そうだ、クァウールさん。あなた確か、誠ちゃんがイフリータを正妻に迎えても良いとか言ってたわね」
「え、ええと……」クァウールは突然話を振られて目を丸くした。
「だったら、そっちの誠ちゃんが引き取りなさいよ。きっとイフリータも一番幸せになれるんじゃないかな」
「ちょ、ちょっと菜々美ちゃん。そんな無茶なぁ」と慌てたように誠《菜々美》が声をあげる。
「それ、いいじゃんか。じゃあ、イフリータはそっちの誠が引き取るって事で」とシェーラも合いの手を入れた。
「シェーラさんまで、勝手に決めんで下さい！」と誠《シェーラ》は怒鳴りかける。
　誠たちも必死だ。よその世界の誠にイフリータを取られたら、一体自分は何のために神の目を解析してきたのか分からないではないか。
「あのー、皆さま。お話しの途中ですが」
　その、当の話の焦点になっているクァウールが口を挟んだ。
「そのイフリータ様、お一人でどこかに出かけられたようなのですが」
「「「「なんやて！」」」」
　慌てて確認すると、イフリータの姿は何処にもみえなかった。



　その頃イフリータは自分をそっちのけで馬鹿騒ぎをやっている誠たちを後に、一人でその場を離れていた。
　バカにしている、と思った。
　彼らがみんな本物の水原誠であるらしいことは分かった。そして神の目の暴走で歴史の分化した未来の誠であると言う事も。
　しかし、その全てが人間の恋人と一緒に来ていると言う事は、どういうつもりなのか。迎えに来てくれたのはうれしいし、それにはどれほど苦労して神の目を解析して来たかは想像に余り有る。しかし、私を迎えに来るのに、人間の恋人を一緒に連れてくるというのはどういう神経をしてるのだろう。
　所詮、自分と誠との関係はそんなものだったのか。どんな歴史をたどったとしても、鬼神である自分は誠の大切な人にはなれないのか。誠にとって自分とは、その程度のものだったのか。
　そんな虚脱感に被われながらイフリータは、とぼとぼと校庭を歩いていた。
　そこにまた光の爆流が流れ、新たな人影が現れた。
「ふはははは、イフリータ！　このエルハザードの支配者である陣内克彦様が迎えに来たぞ。さあ、お前の主人であるこの私に忠誠を誓うのだ」
　そこに出て来たのは、自称・帝王の陣内克彦だった。手には鎖を握っており、その先は誠の首輪に繋がっている。
「……ごめん、イフリータ。エルハザードは陣内に征服されてしもうたんや」と、くやしそうに誠《陣内》は言い訳をする。
「そのとおり！　不肖、この私陣内克彦様は、ロシュタリアを始めとする連合の征服に成功したのだ。この上イフリータを支配下に置けば、わがバグロム帝国の栄光は不滅のものとなる！　うひゃ、うひゃ、うひゃははは！」
　と、陣内は高笑いを始めた。
「イフリータ、そんなアホの言うことは聞く必要はないぞ。お前は妾のハーレムの一員に加えられる事が約束されたのじゃ」
「なにぃ、帝王であるこの私をアホ呼ばわりする奴は……」
　高笑いの途中で遮られた陣内が怒ってその方向を見ると、そこにはファトラともう一人誠が並んでいた。
「アホをアホと呼んで何処が悪い。イフリータ、お主はロシュタリアの新女王であるこの妾のハーレムの一員となれるのだ。感謝するのだぞ」
「あの、ファトラさん。イフリータを迎えに来たのは、僕なんやけど」
　高飛車なファトラの物言いに、誠《ファトラ》はおそるおそる声をかけている。
「妾が決めたことだから絶対なのじゃ。誠、男の身でありながら妾の寵愛を受けると言う栄誉にあずかりながら、妾に逆らうと言うのか」
「い、いえ。とんでもありません」
　ファトラの剣幕に、慌てて首を振る誠《ファトラ》だった。
「何を言う。イフリータは私のエルハザード支配をより強固なものにするために迎えに来たのだ。誰がそんなレズ娘の慰み者にさせるか」
「お主こそ、イフリータの造形美を理解せぬと言うのか。その憂いを秘めた神秘的な表情は、兵器にするにはもったいないではないか」
「さあ、イフリータ。お前は再びこの私の忠実なる僕となるのだ」
「イフリータ。この妾がたっぷり可愛がってやるから、妾たちと一緒に来ぬか」
「さあ、来い！」
「さあ、来るのじゃ」
　陣内とファトラは睨み合いを続けたまま、イフリータの方に詰め寄ってきた。

　──一瞬後、その場を走り去ったイフリータの後に残されたのは、二人の誠とぶちのめされた陣内、ファトラの両名だった。



　酷すぎる。
　落ち込む自分にさらに追い打ちをかけたようなさきほどの迎えに、イフリータは怒りを押さえきれなかった。
　所詮誠にとって、自分とはその程度のものだったのか。自分に自由を与えてくれたあの誠は何処へ行ってしまったのか。
　そんな事を思いながら、イフリータは再び立ち眩みを覚えた。
　間隔が短くなっている、それに気付いた時、イフリータに戦慄が走った。エネルギーが残り少なくなって来ているのだ。先程、ファトラと陣内を一緒にぶち倒した時にエネルギーを無駄づかいしたのだろう。残り時間はおそらく十分を切っているはずだ。それが過ぎた後には、自分は再び物言わぬ骸になるだろう。
　その後どうなるのか。
　おそらく、自分を迎えに来た誠のいずれかの世界に連れられて行くのか。
　──あるいはこの世界に残されてしまうのか。
　それもいいかもしれない、と彼女は思った。あの誠たちに連れられて行ったところで、再び誠が自分を見てくれるとは限らない。それよりも今度は夢すらも見ない永遠の眠りについた方が、どれほど楽だろうか。
　そんな事を考えながらフェンスに片手をついていたイフリータは、その時自分を取り巻く世界の様子が変わっているのに気がついた。
　世界が止まっているのだ。
　正確には時間が止まっていると言った方が正しい。イフリータは神の目の暴走を喰いとめる時、次元移動の能力とともにこの時間を止める能力を身につけた。しかし残りエネルギーの少ない今の自分では、時間を止めることは出来ないだろう。
　ならば一体誰が。そう思った時、自分のほうに向かってくる人影を見つけた。
　その少年の姿をした人物は、水原誠だった。
　イフリータは、自分の目を疑った。先程まで自分を迎えに来ていた大勢の誠たちは、みな成長した青年の姿をしていた。しかし今、自分の前に来ているこの水原誠は、東雲高校の制服が良く似合う、背が低い童顔の少年のままの姿ではないか。
　少年の姿をした誠は、イフリータの前に来ると、優しく声をかけた。
「イフリータ。会いたかった」
「マコト、本当にマコトなのか」
　こくりと、誠がうなずく。
　イフリータは駆け寄ろうと片足を前に出そうとして、そのままためらってしまう。今までのパターンから考えて、誰か他に女性がいるかもしれない。
「大丈夫や」と誠は優しく答える。「ここには僕と君だけしかいない。二人きりで話をしたかったんや」
「一人で私を、迎えに来てくれたのか」
　イフリータは恐る恐ると言った感じで尋ね返す。
「そうやと答えたいところやけどな」
　そういうと少年の姿の誠はイフリータの手を取った。たちまち、イフリータを包む世界が東雲高校の校庭から、どこまでも続く暗闇の異空間に変わる。
　ここはとイフリータが尋ねると、誠が答える。
「ここは僕が今いる世界。時の記憶の彼方、果てしなき時間の流れの外の世界。永遠とも一瞬ともつかない時間の中をただ、成長する事も死ぬ事もなしにをさまよい歩くしかない世界」
「マコト、お前はどうしてこんなところに」
「神の目の暴走が生んだ未来の一つ。イフリータの心の中に潜む記憶の中の水原誠。神の目の暴走に巻き込まれて、永遠の時空の狭間をさまよい歩く事になった未来。それが僕なんや。君に会うために、さまざまな時間の流れを観察してやっと見つける事が出来た」
　誠がそういうとイフリータは、誠に抱きついて来た。
「ああ、マコト。お前はそれほどの思いをしてまで、私に会いに来てくれたのだな。果てしなき時の流れの中を、ただ私に会いに来てくれるためだけに。その思いだけで十分だ。私もお前の世界に連れてっておくれ」
「ダメや、イフリータ。君を時の世界の外に連れて行くわけにはいかない」
　イフリータの懇願に、誠は強い拒絶を示す。
「なぜだ、私は鬼神。このまま時の流れの中の世界で暮らしても、ゼンマイを巻かれ続けるかぎり悠久の時を生き続ける存在。ここでなら誠とともに、永遠に過ごすことができる」
「イフリータ、君のいる世界は時の流れの中にある。せっかく人の心と自由が得られたのに、この無間の牢獄に再び縛りつけられる必要はないんや」
「しかし、私を迎えに来た未来のお前は、みんな私を愚弄していた」
　イフリータは興奮気味に声を荒げて叫んだ。自分を一番大切に思ってくれている誠にやっと会えたのだ。これを逃したら、二度と会えない気がした。
「イフリータ。未来の僕たちをそう攻めんといてや」
　誠がそういうと、周囲の世界の様子が変わった。ここはロシュタリアの王宮に与えられた、誠の研究室である。
　ロシュタリアの衣服を着た誠がエルハザードの古い文献を漁りながら、神の目の解析を進めている姿が映し出されている。
「マコト、ここは……」
「ここは世界の流れの中の一つ。神の目の研究が遅々として進まないときの出来事や」
　昼もなく夜もなく研究を重ねる誠だが、研究がはかどらずいらつきだしている。そんな誠の元に菜々美が食事を運んで来て、場を明るく盛り上げたり、相変わらずがめついところをみせたりして、元気づけていた。菜々美のそんな態度に、誠も思わず苦笑をもらしていて気をまぎらわしてくれているようである。
　しかしそんな菜々美も、誠の部屋の扉から出ると、途端に元気を無くしていた。そして誠の部屋の方を何度も振り向きながら、足取りも重く立ち去って行く。
　再び世界が変わる。
　神の目の中枢、誠が起動実験を行う。側にはアフラ、シェーラ、クァウールといった３人の大神官が控えていた。
　繊細な注意を払った操作により最初はほぼ順調に進んでいたかに見えた起動実験だが、ふと誠が気を抜いた瞬間、神の目に異常が起った。異常を現す警告音が鳴り響き、パネルに異常が見られたのだ。
　３人の大神官が慌てて駆け寄り、神の目の中枢にかかる負荷を押さえようとした。法力の全力を尽くした３人の尽力により、暴走の予兆をみせた神の目は再び制御を取り戻す。
　誠はただただ申し分けなさそうに３人に謝っている。シェーラは気にするなと言った感じで何でもないように振る舞い、クァウールはそのとおりですわと微笑んで誠の実験の失敗を責める様子は無かった。アフラ一人は文句の一つも言いたそうだったが、その後で誠と一緒に、実験の失敗の原因の調査を手伝っていた。
「神の目といえばエルハザードの禁断の知識にして、失われたテクノロジーや。それを解析しようというのだから、どれほどの困難が続いたことか。未来の僕たちは、そんな神の目の解析を実行しようとして、きっとそんな雲を掴むような思いをしてきたに違いないと思う。それに──」
　そういいながら誠は、時間の流れの中で誠の研究につきあう女性たちの姿を眺めていた。
「──時間の流れの中にいると気付かへんかったが、こうしてみると菜々美ちゃんやシェーラさんたち、僕のことを好いてたんだなあということがよく分かるんや。その気持ちは本物やと思うし、それでもイフリータを迎えに行こうと頑張っている僕の手助けをしようという彼女たちの優しさがあったからこそ、未来の僕たちも神の目の解析を成功させることが出来たんだと思う」
「でも……」
　それでもまだイフリータは納得できない様子だった。神の目の解析に焦った誠の焦燥を彼女たちが癒してくれたのはよく分かるし、それが誠の研究の成果に影響を及ぼしたと言われれば返す言葉も無い。しかしそれでも、自分がいない隙に誠が自分以外の女を好きになるなんて認め難い。
　そう彼女が考えていると、再び世界が変わった。今度はイフリータが神の目の中心に落ちて行くシーンである。一万年前の地球に飛ばされる原因となった、あの神の目の暴走の時点だ。
　とまどっているイフリータの元で、誠が言い放った。
「それでも嫌だと言うんなら、未来を選ぶこともできる。あの未来の僕たちは、イフリータの心の中の不安が、僕の同調能力で神の目とシンクロした結果、作られた世界でもあるんや。要するに神の目がイフリータの心の不安に同調して、不安そのままの世界を生み出したものなんや。なら逆に神の目の暴走に干渉して、イフリータの望みどおりの未来も作り出す事もできる。そしてそれが、君にとって本物の未来にすることもできるんや」
　イフリータは瞳孔を見開いた。それなら自分のことだけしか見ない誠を迎えに来させることもできるではないか。
　見れば周囲の光景では、過去のイフリータが神の目の中枢にたどり着く光景を映し出している。
「さあ、選ぶんやイフリータ。神の目の暴走を止めるところで時間軸に干渉するんや。そうすれば君の思いが未来の世界を作り変えることができる」
　そう促す誠の声に振り向くと、時空の狭間の世界の誠の姿が透けて見えた。驚いたイフリータが尋ねると、誠は笑いながら答える。
「大丈夫やイフリータ。もう時間切れなだけや。時空の狭間の世界に迷いこんだものは、本来時間の流れの中にいる存在には干渉できない。君の精神だけをここに連れてきたのだけど、もうそれも限界になっただけなんや」
「マコト、お前はこんなところに一人でいて寂しくないのか？」
「大丈夫や」と、誠はあくまで優しく微笑みかける。
「君が未来を選べば、それが本物の未来になる。そうすれば僕は、最初からここに存在しなかったことになる」
　いまや消えつつある姿のまま、誠はイフリータに強く促した。
「さあ、選ぶんやイフリータ！　過去の君が神の目の中枢を動かして、異次元に放出されるその一瞬に！」
「マコト……！」
　消えていく誠の声を聞きながら、イフリータは過去の自分の姿を見つめることにした。今や自分は誠とシンクロしつつ、神の目の中枢と同調している。もうすぐ暴走を喰いとめるその一瞬のうちに、世界に干渉しなければならない。誠の存在を救うために！！
　その一方で、イフリータはためらっていた。自分はどのような未来を選ぶのか？　自分にとって大切な誠とは、一体どのような存在であるのか。自分が未来を選ぶ事が、誠の本質を変えてしまうのではないか。
　それに気がついた時に、イフリータの心に悪寒が走った。自分は今、大切な人の未来を決めようとしている。そしてそれは、大切な人を自分の思いどおりの姿に変えようとしているのではないか！？
　今、光景は過去の自分が神の目の暴走エネルギーを一身に受けている所である。これがピークに達した時、自分は異次元に飛ばされて、一万年前の地球に漂着するのだ。
　そしてイフリータは、未来を選んだ。



　ロシュタリアの神の目の塔では菜々美や藤沢真理、３人の大神官やルーン、ファトラといった王宮関係者たちが、誠の帰りを待ちわびていた。
　つい先程、水原誠がイフリータを迎えに神の目で旅立って行ったのだ。
　天空に静止する神の目の威容を眺めながら、菜々美がつぶやいた。
「誠ちゃん、ちゃんとイフリータの元に着けたのかしら」
「菜々美、てめえやっぱり着いて行きたかったんだろぉ」
　シェーラが不安そうにしている菜々美をヒジでつついて突っ込んで来た。
「な、何言ってるのよ。あたしは何とも思っちゃいないんだから。それよりシェーラ、あなたこそ誠ちゃんのことが心配じゃないの」
「そ、そりゃあ心配だけどよ」
　赤くなってもじもじしだしたシェーラである。ほんとに分かりやすいんだからと菜々美は心の中でつぶやいて、それでもそんなシェーラの気持ちに最後まで気付かなかった誠にも呆れていた。
　もっとも、それは菜々美にとっても当てはまるのだが。
「はいはい、今はそんなお約束の喧嘩、やってる場合やないでっしゃろ」
　アフラが割って入る。
「神の目による人間の時空移動は、今回が事実上初めてですわ。何も起こらなければいいんやけど」
「大丈夫ですわ、アフラ様。誠様は、無事にイフリータ様を迎えに行くことが出来ると信じています」
　両手を組みながら断言したのはクァウールである。結婚退職したミーズに代って水の大神官に任官した少女だ。
「あなた、無事に帰ってこれるのかしら」
「大丈夫だ、俺は自分の教え子を信じている」
　藤沢真理、ミーズ夫妻は寄り添って、天空の瞳を眺めていた。
　ルーン、ファトラ、アレーレといった王宮関係者たちも一様に思いは同じである。何度も国を救った救国の英雄であるのもその理由の一つであるが、それ以上にルーン達は誠の人柄に好意をもっていた。
「あ、あれ見て！」
　天空に漂っている神の目が白い光に包まれだした。誠が神の目を起動した時に起った現象とほぼ同じである。
　それが収まるとしばらくしてから、神の目の方角から小さな点が現れた。それはみるみる大きくなって行き、二つの人影の形を成して来た。
　イフリータと、彼女に抱きかかえられている誠である。
　二人がみんなが待っている神の目の塔の上に降り立つと、誠はにっこりと笑って声をあげた。
「ただいま、みんな」
　その誠の姿に一瞬みんなは呆けたが、すぐさま誠たちを取り囲んだ。
「お帰り、誠ちゃん」
「よう、うまくいったようだな」
「誠様、ご無事で何よりです」
　真っ先に飛び込んで来たのは、菜々美、シェーラ、クァウールである。アフラや藤沢たちは、遠まきにそれを見て呆れている。それも嬉しさや祝福の気持ちの方が勝っているようだ。
「ほらほら、みんな。今日はイフリータはんの帰還でもあるさかいに、もうちょっと気ぃ使うてやりなはれや」
　見かねたのかアフラが割って入った。
「そ、そうや。紹介まだやったね、イフリータ。こちらがエルハザードでお世話になっている人たちや」
「分かっている、マコト。彼女たちのおかけで、私を迎えに来れたのだろう」
「……？　まるで見て来た事の様に言うんやな」
　誠は少し疑問に思ったようだった。
「ほら、下に降りるわよ。今日はイフリータの歓迎パーティやるんだから」
　３年の間に成長して、少しは化粧の似合う女性に成長した菜々美が声をかけて来た。
「そうだな。今日だけは二人を歓迎してやるから」
　こちらも成長して、少しはナイスバディになったシェーラが誠たちの後を押した。化粧は全然似合いそうに無かったが。
「イフリータ様、お初にお目にかかります。私、水の大神官を勤めますクァウール・タウラスと申します。以後、お見知りおきを」
　クァウールが丁寧だがこの場にそぐわない挨拶をして来た。彼女だけは３年前にはこの場にいなかった。
　そんな誠をめぐるライバルとも言うべき存在を前にして、イフリータは呟く。
「マコト、お前を絶対に、離したりはしないわ」
「え、イフリータ、なんか言った？」
　誠がイフリータを不思議そうに見ている。
「何でもない。マコト、一緒に行こう」
　そういうとイフリータは、自分より背の高くなった誠の手を握って、塔下へと続くエレベータに乗り込んだ。
　その口元には、かすかな微笑みが浮かんでいた。
「ただいま……」



　ここはエルハザード、神秘と冒険と永遠の大地。
　そして、イフリータの帰還した世界である。