その１　降臨の儀

　「まったくもう、遅いわねえ。なにやってるのかしら」
　ジュライヘルム一の美貌にして聡明な頭脳の持ち主(自称)である裸魅亜は、皇の塔の最上層にある神殿で待ちぼうけをくらわされていた。彼女がいらつくのも無理はない。先代の女王が崩御してから一周忌がすぎ、今日は裸魅亜にとって待ちにも待った、降臨の儀が行われる日だからである。

　ジュライヘルムでは女王制を敷いてはいるが、その女王は血統によって決められるわけではない。その正統は、魔力によって決められるのである。
　皇の塔に住む魔女たちの中でも特に力のある者たちから候補者を募り、女王になるための試練と修行を積ませる。何段階もの選抜をくぐり抜けて最終的に選ばれた女王候補の一人が、裸魅亜なのだ。
　裸魅亜はこの日のために、ありとあらゆる準備を行ってきた。降臨の儀に際して尋ねられると思われる質問に、就職難にあえぐ学生よろしく模範的な解答の練習をしてきた。聞いている服だってジュライの正装である純日本調だがシャープなデザインのものだし、風邪もひかなかったし、風呂にも入ったし、歯も磨いたし、鏡の前で魅力的に見えるようににっこりと笑顔の練習だってしてきた。小生意気な弟は気味悪がったが、外に殴り飛ばすだけですますほど些細なことだった。

　そんな彼女が不機嫌にしている理由。それはいたって単純、降臨の儀が始まらないからだ。裸魅亜は定刻の二時間前にはすでに神殿に来ていた。儀式を司る神官達も時間には集まっていた。目の前に神官たちがいるからなんとかおとなしくはしているが、そうでなかったらとっくに切れていただろう。
　だいたいアイツが女王候補だっていうのが間違っているのよ。他に選抜に耐えられた候補生がいなかったから仕方ないけどさ。そうでなかったらきっと今頃クビよ、クビ！　だいたい魔力も美貌もあたしとちがってヘッポコピーじゃない！　降臨の儀には二人以上の候補者をもってあたることという規則がなかったら、きっと今頃あたしが女王に決まっているのにぃぃぃ！
　失礼、すでに彼女の頭の中は切れているようだ。

　やがて神殿後方に襖が現れ、そこから裸魅亜の不機嫌の元凶、儀式が遅れた原因であるもう一人の女王候補者、津名魅が現われた。こちらの衣装も純日本調だが裸魅亜のものとはちがい柔らかいデザインである。津名魅は、付き人の少年を入り口に待たせると、遅刻して来たにも関らず別段慌てる風でもなく、ゆっくりと歩いて来た。
　その態度が、ますます裸魅亜の(内なる)怒りに火をそそいだ。
「津名魅、まさか降臨の儀に遅刻してくるなんてね」
「ごめんなさい、裸魅亜。読みかけの本に夢中になってて」
「読みかけの……本？」
「ええ……」
　裸魅亜の顔が真っ赤になった。これからあとはどうなったかは敢えて記さずにおこう。だいたい正史と同じような展開だったことを付け加えておく。

　そうこうしているうちに降臨の儀が始まった。といっても儀式の内容は至って簡単。神官たちが次々と質問をなげかけ、それを二人が次々に答えていくのだ。
　その質問の内容も、女王になるための基礎知識の確認のようなものである。二人ともそれらの質問に対しては的確に答えていった。真の質問はただ一つ、神官長が尋ねる最後の質問のみである。
「では聞く、おぬしがジュライの女王になったとして、我らの故郷であるこのジュライの世界に、何をもたらそうというのか？」

　正史ではこの質問に対し、まず裸魅亜が先に答える。彼女はこの質問に対し、これ以上はないというほどパーフェクト！　な解答を示すのだが、その結果どうなってしまったかはみんなも知っているとおりである。
　しかしこの話では、津名魅が先に答えてしまうのだ。

　神官の質問に対して、先に立ち上がったのは津名魅である。
　機先を制された裸魅亜は、津名魅の顔を見て毒づいた。
　ちょっとぉ、私より先に立ち上がるなんていい度胸してんじゃない。もしくだらない解答したら、国中に笑い飛ばしてあげるからね。
　実際には津名魅がくだらない解答をした方がありがたいのだが、裸魅亜はそういう論理的な思考ができるキャラではない。
　そんな裸魅亜の気持ちを知るよしもなく、津名魅は胸を張って答えた。
「私がジュライの女王になったら、国中にお花をたくさん植えたいと考えております」
　……一瞬の静寂。
　その場にいる誰もが、津名魅の返答にはあっけをとられた。
　裸魅亜も何も考えられなかった。
　神官長だけが平静さを装い、津名魅に確認を求めた。
「それが、お主の考えと申すのか？」
「そうです」
　なんの躊躇もためらいもない津名魅の返答に、裸魅亜はやっと現状を認識した。
　アホや、こいつ。
　それと同時に、笑いがこみあげて来た。
　は、ははっ……。そうよ、こんな女なんか、最初からあたしの相手になるわけがなかったのよ。あたしったらやーねえ。なにムキになってたのかしら。これで次期ジュライの女王はあたしのもの。パーティ開いて、国中をパレード。引き立て役になってくれた津名魅には……そうねえ、太鼓持ちとして雇ってあげてもいいかしら。そしてあんたは、国中の笑い者になるのよ！　もうっ、裸魅亜、うれしいったらありゃしない！　あは、あは、あーははははは……。
　裸魅亜は笑っていた。心の中だけど笑っていた。ニトロで限界までブーストされたエンジンのように笑っていた。
　そんなんだから、神官長に、
「女王候補、裸魅亜の意見を述べよ」
　と言われたとき、裸魅亜の頭の中はからっぽだった。

「はいぃ！」
　我ながら情けないと思うほど、裸魅亜の声は裏返っていた。なんとか前に出たが、何も思い付かない。
　裸魅亜の頭の中は、燃え尽きたジョーのように真っ白だ。
「どうした、早く意見を述べないか」
　神官長にせかされて、ようやく裸魅亜の思考回路が動きだした。
　思い出すのよ、裸魅亜。この日のために大学の教授に頼み込んで、完っ璧な解答を用意してもらったじゃないの。あのスケベ教授ったら、目の前で足を組んであげただけで、よだれを垂らしてきてさー。ほんの気持ちばかりをお礼にしてあげるって言ったら、ホイホイうなづいちゃってねー。あんたばか〜って感じで笑えたわ。誰も体でお礼なんて言ってないのに。ああー、もうこんなこと考えている場合じゃないのにぃ〜〜〜
　あせればあせるほど、明後日の方向に思考が飛んでしまう。
「わ、わたしがぁ、女王にぃ、なった暁にはぁ〜」
　やばい、何も思い出せない！
　とにかく、なんでもいいから言うのよ！
　そうしないと、津名魅を笑い者にしてやるという私の計画がぁー！！
「く、国中の人々がぁ、笑って暮らせるようにしたいと思いますぅ」
　まとまらない思考の中で、裸魅亜はようやくそれだけを言った。
　……再び静寂。
　神官達は沈黙した。多分、とことんあきれているのだろう。
　神官長も沈黙した。さすがに平静を装いきれないようだ。
　津名魅だけはいつもと変わらなかった。それどころか感心しているようだ。
　今度は数瞬の逡巡の後、神官長が裸魅亜に確認を求めた。
「お、お主はそれが考えだと申すのか」
「はいぃっ！」
　裸魅亜の声は完全に裏返っていた。

　裸魅亜の返答と同時に、神官達は審議に入った。
　神官達の審議は、互いの念話で行われる。神官長を中心に、互いに念波を飛ばして会話を行う。いわば心と心の議論であるため、意見を偽ることができない。本音で話し合える画期的なシステムだ。
　審議の間に、津名魅が裸魅亜に話しかけてきた。
「すごいわ、裸魅亜。国中の人々に笑いをもたらしたいなんて、誰にでも言えることじゃないわね」
　その言葉で、裸魅亜の思考は正気を取り戻し始めた。それと同時に、自分がとんでもないことを口走っていたことに気付いてしまった。
「つ、津名魅……、あ、あたし！？」
「ええ、裸魅亜。私もすっかり感心しちゃったわ」
「え、ええっ！？」
　ああー！　せっかく、せっかく用意させたレポートを資料にまとめてそらで言えるように練習してポーズまで決めていたのにー。よりにもよって、どーしてあたしがお笑い芸人のような抱負を言わなくちゃいけないのよ！　これじゃあお花植えますの方が、よっぽどマシじゃない。これというのも津名魅、あんたのせいよ！　あんたがお花植えますだなんていうから、こっちまでつられちゃったじゃないのー！どう責任とってくれんのよ！
　裸魅亜の顔が赤くなって青くなって、また赤くなった。
　最後には歪んだりもした。
　最初に赤くなったのは自分の意見を思い出して恥ずかしくなったからであり、次に青くなったのは事態を認識して血の気が引いたからであり、また赤くなったのは津名魅への理不尽な怒りが沸き起こったからである。顔が歪んだのはその余波であろう。
　津名魅は、そんな裸魅亜の百面相を見て。
　まぁ、さっそくみんなを笑わせる稽古をしているわ。
　と、しきりに感心していた。

　審議には時間がかかった。
　まあ、お花植えます女（津名魅のことね）対お笑い芸人女（裸魅亜のことさ）では、もめるのも無理はない。ある意味、究極の選択だ。
　結局審議には、２８分１６秒かかった。その間、裸魅亜は針のむしろだった。自分が解答を失敗したことにより、津名魅が女王になる可能性がでてきたからだ。
　実際にはそんな裸魅亜の思惑とは関係なく、神官たちの意見は当初は津名魅に８票、裸魅亜に１０票、こんな二人はほっといて新たな候補者を募ろうがその他大勢だったのだが。
　降臨の儀を開いて女王を選べなかったなんて醜聞を嫌わなかったら、最後の意見が通っていたかもしれない。
　実際には、この二人から選ぶしかないわけで。
　神官長が、結論を出した。
「次期女王は、津名魅！」
　というのは、裸魅亜がオーバーヒートした頭で聞いた幻聴だった。彼女は審議の間じゅう、津名魅が女王になって国中をお花で埋め尽くし、臣民ともども花畑で走り回っているそのそばで、自分は日光猿軍団の猿になってみんなの笑い者になっている姿をありありと妄想していた。
　だから、
「おめでとう、裸魅亜」
　という声が拍手と共に聞こえてくるまで、裸魅亜は自分が女王に選ばれたのに気が付かなかった。

「私が……女王？」
　裸魅亜は自分でも間が抜けてるなと思う声で尋ね返した。
「そうよ、やっぱり裸魅亜だわ。まだまだ私の及ぶところじゃありませんね」
　津名魅はなんの邪気もない顔で答えた。
　その意味を理解するのに（裸魅亜にしては）時間がかかったが、やがて状況を理解すると、裸魅亜の思考が完全に正常に戻った。
　そうよ。やっぱり神官たちは見るべきところは見ているんだわ。当然よねえ。魔力も美貌もジュライ一ィィィィのこのあたしを差し置いて、あんなヘッポコピーを誰が選ぶもんですか。ふふん、津名魅、くやしいでしょう！？　平静さを装ったところで、私には分かるんですからね。でもね、女王はあ・た・し。うふ　まあ、せいぜい内心くやしがってなさい。おーほほほほ！
　彼女の思考は、正常でもオーバーヒートしているのだが。
「有り難き幸せに存じます」
　平静さを装って、裸魅亜は頭を下げた。

　次期女王は裸魅亜と決まったが、女王になるためには最後の『試練』が残されていた。
　ジュライヘルムとは別の世界にいる、心と体を共有する分身──女王候補が見初めし者が、善であることを証明しなければならない。
「さあ、示すがよい。そなたが見初めし者を」
「御意」
　裸魅亜は、一歩前に出た。内心ではるーんるるんるんとスキップしたいぐらいに浮かれていたのだが、そんな態度はおくびにも出さない。
　両手を広げて、ジュライの力の源、『魔』をあつめ、前方に映像を映す。
　映し出されたのは、青白い惑星、地球。
　その映像は次第にズームアップされ、海と陸地が識別できるようになる。さらに日本を映し、東京を映し、ある町並みを映し、とある一件の邸宅を映し出したところで一端画面がストップした。
「我が見初めし者は、ここに……」
　再び画面が動きだすと、壁を通過し、その中にいる一人の少女を映し出した。長く豊かな黒髪の似合う儚げな少女だった。
「この娘が、そなたの見初めし者と言うのだな」
「はい。もう少しお待ちください。かならずやあの子が正なるものと証明してくれるでしょう」
　裸魅亜は、画面を見上げて答えた。
　さあ、さっさと何かいいことをするのよ。あなたがいい子ちゃんだと証明されれば、あたしは晴れて正式にジュライの女王　津名魅のヘッポコピーは、太鼓持ちになるんですからね〜。だからさっさと、いいことをせんかいっ！
　言葉とは裏腹な裸魅亜の本心ではあるが、関係ないからほうっておこう。

　その少女は、まだ昼間だいうのにレースのカーテンを閉め、電気も点けていない薄暗い部屋で一人でご飯を食べていた。もともと食が小さいのか、彼女はあまり口をつけていない。やがてご飯を残したまま、後片付けを始めだした。
　な、なんでご飯を残すのよ！　残さず食べなさいって、親に教わらなかったの！？
　裸魅亜は内心あせりだした。
　やがて少女が、玄関にある留守番電話のボタンを押すと、メッセージが飛び出して来た。
『美紗緒、今日はママ、仕事が忙しくて帰ってこれません。食事はいつもの時間に配達されますので、残さず食べるように。そうでなくてもあなたは、体が弱いんですからね。それからこの間、塾の先生から来てないって連絡があったわよ。今日はちゃんと行きなさい。今からきちんと勉強しないと……』
　そこまで聞くと、少女は「消去」ボタンを押してメッセージを消してしまった。切なげな表情で、ポツリとつぶやく。
『塾……、休もうかしら』
　ブチ。
　その言葉を聞いて、裸魅亜は何かがぶち切れるのを感じた。
　ななな、なんて事いうのよ、あんたは！　あんたまであたしがが女王になれなくてもいいと思ってるの！　もしそーなったら、どど、どーしてくれんのよ！
　言葉に出さないだけ、まだＴＰＯをわきまえているといえるが。
　その様子を見ていた神官長は、厳かに裸魅亜に宣言した。
「見初めし者が正なるものであるかどうかは、女王継承の儀の律に基づき、一年間の審査をもって行うこととする」
「へ、あの、その、待ってください」
「審議は一年間。その間に、あの少女が正なる者であることを証明するのだ」
　そういうと神官長は、裸魅亜を無視してさっさと退場してしまった。
　他の神官達も、次々と退出していく。
　いつの間にか、その場に残されたのは裸魅亜と津名魅、そして入り口で待っている津名魅の付き人の少年だけになってしまった。
「大丈夫ですの、裸魅亜。見初めし者の審査なんて、二万年に一度起きるか起きないかの試練と聞くわ」
　津名魅の心配そうな声に、裸魅亜はようやく我に返った。
　まだひくついているが。
「だ、大丈夫よ〜、津名魅。要はあの子が正なる者だって、証明すればいいわけじゃない」
「そうね、裸魅亜。あなたならできるわ」
「そーよ、そーよ。おほほほほ……」
　傍から見れば、和やかに談笑しているように見える。しかし裸魅亜の心の中は、
　おんどりゃー、あたしがすんなり女王になれなかったからといって、内心いい気味ねって笑っとるんやろ！　いいわ、みてらっしゃい！　絶対女王になって、あんたをぎゃふん(死語)と言わせてあげるんだから。そんときになって後悔したって、ざまーみろよ。あーはっはっは……。
　どす黒い思いでどろどろしていた。

　その３　津名魅の思惑

　その頃、津名魅は付き人の少年と自室へ戻る廊下の途中であった。
　女王の審議に落選したというのに、津名魅は別に落ち込むでもなく悔しがるでもなく、かといって意図的にその気持ちを押し殺しているようにも見えず、ゆっくりと歩いているのである。
　少年はいぶかしんだ。
「津名魅……様」
「なんですか、魎皇鬼」
「あの、悔しくないんですか？」
「まあ、なぜです」
「え？　あの……　その……　いいえ、何でもないです」
「ふふ、おかしな子ね」
　津名魅はにっこりと微笑んだ。
　少年──魎皇鬼はそんな津名魅を見て、本人が何も悔しがらないのに付き人の自分がどうこう言っても仕方ないと思ったのか、再び黙り込んだ。

　やがて、津名魅の下で働く王政職員が二人、津名魅のところにやって来た。
「津名魅様、今回のことは誠に残念でございました。私は津名魅様こそが、女王に相応しいと思っていましたのに」
「本当、神官たちは、どこに目をつけているのでしょうか」
　涙をハンカチでぬぐいながら、次々と声をかけてくる。
　津名魅は、そんな職員たちに優しく声をかけた。
「ありがとう、二人とも。でもね、私はこれで良かったのかもしれないと思っているのですよ」
「でも……」
　意外な言葉に、何か言おうといている職員たちを押し黙らせて、津名魅は言葉をつなげた。
「裸魅亜は素敵な人よ。みなさん誤解してる方が多いように思いますが、裸魅亜は頭もいいし、魔力も強いし、そのうえ心も広いわ。女王の抱負一つとっても、まだまだ私なんか足元にも及ばなかったの。裸魅亜ならきっと、素敵な女王になれると思いますわ」
　側で聞いてた魎皇鬼は、どこをどう見れば裸魅亜にそういう評価が下せるのか、理解に苦しんていた。
　きっと津名魅の目には、裸魅亜はそういう風に映っているのだろう。
　職員の二人は、そんな津名魅様の寛大なお言葉に、深く心をうたれていた。
「津名魅様、なんてお心の広い……」
「例え裸魅亜様の天下になっても、私は津名魅様についていきますわ」
　津名魅は人望があった。
「……でも、裸魅亜は昔から運がないことが……」
　ポツリと呟いた津名魅の言葉は、感激の涙にくれていた職員たちの耳には届いていなかった。

　部屋に戻ると、さっそく魎皇鬼は尋ねて来た。
「津名魅様、運がないとは、どういうことです」
「まあ、聞こえていたのですね」
　津名魅は、目を丸くして少年を見つめた。
「あなたも裸魅亜が女王の審議を受けることになった経緯は知ってますよね」
「ええ、見てましたから」
　神殿の入り口で控えていたのだ。魎皇鬼は降臨の儀の一部始終を見ていた。
「本当ならその場で女王就任が決まってもいいのに、ちょっとしたことで審議を行わなくてはならなくなった。私は裸魅亜とは幼いころからずっと一緒にいたから分かるんだけど、昔からそう。裸魅亜は実力があるのに、ちょっとしたことでフイにしてしまうことが多かったの。そう、あれは確か、魔法幼稚園の時……」
「つ、津名魅様。それでは裸魅亜様が、審議に落ちるとでも？」
　話せば長くなる雰囲気だったので、魎皇鬼は話を強引に戻した。
　後に魎皇鬼は、このことを深く後悔することになるが、それはさておき。
「いいえ、そんなことはないと思うわ。だって裸魅亜ですもの」
　さっきとは言ってる内容が全然違うが、津名魅の中では矛盾してないのだろう。
「でも、万が一ってことも限らないでしょうね。もしそうなったら裸魅亜も悲しむかもしれないし……」
「そうでしょうねえ」
　魎皇鬼は、話の向きが変わってきているのにまだ気付いてなかった。
「そうだ、いいことを思い付いわ」

　いかにも今、思い付きましたというような津名魅の態度に、魎皇鬼がおそろおそる声をかけた。
「津名魅様、何をお考えで」
「私たちが、裸魅亜を手助けすればいいのです」
　裸魅亜が聞いていたらおんどりゃそんなするなあと絶叫しそうな津名魅の提案に、魎皇鬼もひっくりかえった。
「つ、津名魅様。わたしたち……って、津名魅様がぁ？」
「ええ、魎皇鬼。手伝ってくれますね」
　ああ、やっぱり何かとんでもないことを思い付いたんだ。
「でも……一体何をするおつもりで」
「私も見初めし者を使って、裸魅亜の見初めし者がいいことをするのを手伝ってあげればいいのです」
「そんなあ。あ、でも津名魅様は地球へ行くことはできなかったのでは？」
　魎皇鬼がこの計画の不備を指摘した。
　津名魅は裸魅亜に比べて魔力が少ないので、一人で地球への回廊を開いて地球に行くことは出来ない。そんなことができるのは、このジュライでも裸魅亜ぐらいなものだろう。
　津名魅にできることは、せいぜいが思念体──アストラル・ボディを地球に送りこむことだけだ。もし津名魅が女王に選ばれて審議を受けることになっていたら、神官たちの力を借りて地球に行くことになるのだが。
「そういえば、そうですね。困りましたねえ」
　そんな津名魅の呟きに、魎皇鬼は安心のため息をついたが。
「そうだ、あれがあったのだわ」
　ポンと手を打ち、津名魅は部屋の奥の物置へ行って何かをとりだしてきた。
　それは、小さな襖だった。
「何です、それは」
「これは携帯どこでもフスマといって、離れた場所へ自由に行けるという大変便利なマジックアイテムなんです」
「でも、それって確か８００メートル先までしか行けなかったのでは？」
「そうです。昔、裸魅亜が作ったものだったのですが、役にたたないからと捨てようとしたものをもらいうけたのです」
　魔法高等学校の時、「マジックアイテムの作成」という実技演習が出されたことがあった。魔力そのものはずば抜けていたが魔法理論では津名魅に一歩劣っていた裸魅亜は、強大な魔力を付加することで理論の不備をカバーしようとした。しかし出来たものは８００メートルまでしか届かない不完全な「遠隔地移動用アイテム」であり、授業が終了すると失敗作としてさっさと捨てようとしたのである。
「それでは地球に行けないじゃないですか」
「ええ。しかしこの襖自体に込められている魔力は大変強力なものです。有効距離が小さいのは魔法理論が不完全だからなの。だから魔法理論を完全なものにして魔力の流れを正しくし、そこにちょっと私の魔力を与えてあげると、きっと地球にも行けるようになれるわ」
　魎皇鬼は唖然とした。普通、いったん作りだしたマジックアイテムに手を加えるなんて、ジュライの常識でも考えられない。ましてや他人の作ったものにだ。魔法理論に関する知識では他を寄せ付けぬ津名魅だからこそできる芸当ではあるのだろうが、それにしても。
　魎皇鬼は、外堀がどんどん埋められていくのを感じていた。もしかすると内堀まで埋められたのかもしれない。
「で、ですが津名魅様。審議に外部の者が手を出すのは禁止されているのでは」
「ええ。ですからこっそりと行うのです」
「し、しかし。もしバレたら厳罰ものですよ」
　真田魎皇鬼は、最後の反撃に出た。
「大丈夫です。私たちは、良いことをするのですから」
　徳川津名魅ににっこりと切り返され、大坂ジュライの陣は終結した。

　魎皇鬼は観念した。
　こう見えても津名魅は頑固なところもある。いったん決心した津名魅の思い付きを断念させることは不可能であることを、魎皇鬼は３８年の付き人生活の中で思い知らされていた。
　あとは津名魅一人にやらせずに、フォローすることぐらいしかできないだろう。
　津名魅一人にやらせたら、何が起こるか分かったものではないからだ。
　魔王に一人で立ち向かう勇者のような悲壮な決意だ。
　津名魅は、そんな魎皇鬼の決心には気付いてなかった。
「そうだ。私の見初めし者がどんな子か、探さなくてはいけませんね」
　そういうと、両手を前に掲げて魔力のスクリーンを作りだした。そこに映っているのは地球の映像だ。津名魅は、自分と魂を同じくする者を探し始めた。
　やがて映像は一軒の家を映し出した。さらにズームアップさせると、いきなり近所迷惑な歌声が聞こえた。
　演歌だ。
　なんと家の中では、少女が母親と一緒にカラオケを歌っていた。
　魎皇鬼は再び唖然とした。
「津名魅様、この子が……ですか？」
「そのようですね。まあ、なんて楽しそう」
　魎皇鬼は画面を凝視した。
　少女は津名魅と同じ水色の長い髪を、頭の上で二つに束ねている。鼻の上についたそばかすがチャームポイントだ。料理中だったらしく、エプロンを着けてオタマをマイク代わりにして歌っている。多分、母親に誘われたのだろう。後ろで作りかけの味噌汁が吹きこぼれているのにも気付いていない。
　外はもう夕方だ。
　後ろで彼女の兄らしき少年が呆れていた。
　魎皇鬼も呆れていた。
　津名魅だけが、にっこりと微笑んでいた。
「魎皇鬼、あなたは先に地球にいって、この子の事を調べておいてくれませんか」
「は、はい！」
　魎皇鬼は即答した。
　再び画面を見て、津名魅に見初められた不運な少女に対して少し同情していた。
　こうして、津名魅が思い付いた史上最大のおせっかいは発動した。
　不運な少年と少女を巻き添えにして……。

　その５　魔法少女誕生

　雷凰学園は、幼稚園から大学院までが一体となったマンモス名門校であり、美紗緒たちはそこの初等部に通っていた。
　雷凰学園初等部四年三組、それが美紗緒たちの教室である。
　遅刻した砂沙美たちは休み時間に職員室で怒られたようだが、次の時間は体育だ。砂沙美の大得意なドッジボールだ。切り替えの早い砂沙美は怒られたことも忘れ、ドッジボールに意気込んでいた。
　砂沙美たちの年代では男女間の体格差はほとんど無く、むしろ女子が男子を上回ることも多い。砂沙美の勢いは男子を圧倒していた。
　いっぽう美紗緒はというと、持病の喘息がぶり返して木陰から見学だった。美紗緒は生来体が弱く、体育の時間には休むことが多い。
　ドッジボールではやはり砂沙美が活躍していた。なみいる男子をものともせず、ボールをぶつけて回っていた。あまりの暴虐無尽な活躍ぶりに敵チームの男子どもが悪口を言って挑発することもあったが、そういう奴は顔面にボールをぶつけて外野に追い出し、文字どおり面目丸潰れにしてやったりもした。
　美紗緒はそんな砂沙美の活躍する姿をまぶしそうに見ていた。元気で明るくて誰からも好かれる砂沙美がうらやましかった。
　私も、砂沙美ちゃんみたいに元気になれたら良かったのに。
　そうすれば、砂沙美ちゃんと一緒にドッジボールが出来たのに……。
「どうした、天野。体は大丈夫か」
　体育の授業担当の先生が美紗緒を心配して声をかけて来た。
「だ……大丈夫です、先生。ゴホ、ゴホ……」
　不覚にも咳が出た。
「無理するなよ。保健室に行ってもいいんだぞ」
「大丈夫です」
　そんな先生のお言葉を振り切って、美紗緒は見学を強行した。もう少し砂沙美の活躍を見ていたかった。
　いつの間にかコートでは、最後の決着が行われようとしていた。コートの中では砂沙美と真嶋の一騎討ちが行われていた。
　真嶋明弘は男子の中では、一番に運動神経が良い。チームメイトが次々外野に追い出される中、砂沙美側のチームメンバーをほとんど一人でＫＯしていた。
　いま、最後の決着が行われようとしている。男子の名誉を一身に背負った真嶋対、女子の意地を全力でぶつける砂沙美だ。
　この状況だと、どう見ても男の真嶋は女の子をいじめる悪の幹部で、女の子の砂沙美ちゃんはみんなを守る正義のヒロインさんだ。
　美紗緒はその様子を遠くから眺めていた。
　すると。
「キュィィィィィ」
　おかしな鳴き声をあげて、鳥が一羽美紗緒の前に現われた。美紗緒はその鳥に見覚えがあった。
　今朝の鳥さんだ……。
　目の前でホバリングしている鳥を見ていると、ふと美紗緒の目には、その鳥が少年の姿にダブって見えた。
　その少年は、美紗緒の両目をじっと見つめて……。
　ゴンッ！
　いきなり鳥の後頭部に、ドッジボールがぶつかって来た。
　美紗緒はとっさに反応できないでいた。
「天野ーっ！　悪りぃ！　大丈夫かー！？」
　向こうで真嶋が手を振っている。どうやら真嶋の投げたボールがここまで飛んで来たのだと、美紗緒は理解した。
「う、うん。大丈夫……」
　答えようとして、美紗緒は口よどんだ。
　目の前ではさっきの鳥が地面でピクピク痙攣している。この鳥が盾になってくれなかったら、ボールはきっと美紗緒に当たっていただろう。
「大丈夫じゃ……ないかもしれない」
　美紗緒は自分をかばって(？)くれた、不幸な鳥を見てそう呟いた。

　放課後、美紗緒と砂沙美はいつものように下校していた。
　美紗緒は一羽の鳥を抱きかかえれていた。包帯でぐるぐる巻きになっている。
　あれから美紗緒は保健室の先生に、鳥の治療を頼んでもらっていたのだ。
「それじゃあ、その鳥さんが美紗緒ちゃんを守ってくれたの？」
「うん……。だから治るまで面倒見てあげようかと……」
「あ、それいいね！　ねえ、どんな名前にしたの？」
「ええっと、まだ考えていないの」
「じゃあ、今度一緒に考えよう！」
「……うん」
　話し合っているうちに、交差点に着いてしまった。ここでお別れだ。
「また明日ねー、美紗緒ちゃん」
「また、明日ね。砂沙美ちゃん」
　美紗緒は、小さく手を振った。

　美紗緒は砂沙美と別れると、鳥と一緒に自宅の前に戻っていった。
　ドアを開けようとして、鍵がかかっていることに気付いた。つまり、家には誰もいないということだ。
　その事実に一抹の寂しさを感じたが、美紗緒は今日だけはほっとしていた。もし琴恵ママがいたら、鳥を飼うことを決して許しはしなかっただろう。
　美紗緒は、母親には内緒でこの鳥を飼うつもりだった。
　ドアを開けて、家に入る。居間にある留守電の用件ボタンにメッセージが入っていたが、内容は分かりきっていた。
　父親、繁樹が家を出てから、母親の琴恵は仕事に打ち込むようになってしまい、美紗緒にあまり関心を示さなくなってしまった。たまに美紗緒と話す時でも、話題は主に勉強のことだ。琴恵は、美紗緒が砂沙美と付き合っていることも、あまり歓迎していない様子だ。
　だから、このメッセージもやはり、仕事が忙しくなった、塾に行きなさいといういつもの内容だろう。分かっていても美紗緒は、今日は別の内容が入っているのかしらとボタンを押してみた。
　……いつもの内容だった。
「キイイイ」
　鳥が、鳴き声をかけてきた。美紗緒にはそれが、自分を気遣ってくれているように感じられた。
「ありがとう、鳥さん。慰めてくれるのね……」
　美紗緒は、鳥に優しく声をかけた。
「あら〜、留魅耶。よろしくやってるじゃないの！」
　突然耳慣れない声が、背後からかかってきた。

　美紗緒が後ろを振り向くと、見た事も無い女性がソファに座っていた。
　入った時は、誰もいなかったのに。
「あら、あなたが美紗緒ちゃんね」
　見知らぬ女性が見知らぬ服装をして、ソファに座っている。しかも自分を知っているみたいだ。それだけで美紗緒の心は恐怖が支配した。
「……あ、あなたは誰ですか？」
　ようやくのことで、これだけ尋ねることが出来た。
「私は裸魅亜。魔法の国ジュライヘルムの次期女王候補」
　目の前の女性、裸魅亜はそう答えた。
　すると、美紗緒が抱きかかえていた鳥がバサバサと羽根を広げて、裸魅亜と名乗った女性のほうへ飛んでいった。
「ねーさん、いきなりこんなところへ表われたら、誰だってびっくりするよ。脅えてるじゃないか」
「……と、鳥さんがしゃべった」
　美紗緒は目を白黒させた。
　自分が抱きかかえていた鳥がしゃべっている。しかもオウムのように言葉を覚えさせたのではなくて、きちんと会話として成立している。もう美紗緒はパニックものだ。
「こら、誰が脅えているですって！　あんたこそ美紗緒とよろしくやってたじゃないの。ずっと見てたわよ」
「か、関係ないよ。単に礼儀の問題だって言ってるじゃないか」
「あら〜、ずいぶん生意気になっちゃったわね」
　そういうと、裸魅亜は美紗緒の方に目を向けて、にっこりと笑った。
「ねえ、美紗緒ちゃん。恐くないわよね〜」
「あの……、普通恐いです」
　美紗緒の目には、その笑顔がにんまりとに映っていた。
「ほら、やっぱり恐いって」
　してやったりというような口をきいた鳥──留魅耶を、裸魅亜はソファに叩きつけた。
「余計な事言うんじゃない！！　だいたいあんたの役目は様子見でしょ！？　下調べも真面目にせんで、いらんツッコミするんじゃない！」
　左足でゲシゲシ留魅耶を踏み付けていたが、突然裸魅亜は何かに気付いたようにゴホンと咳払いし、おほほほと顔を整えた。
　落ち着くのよ裸魅亜。この様子はジュライヘルムで神官たちも見ているのよ。おかしな行動をとったら減点ものよ、ネ。
　目は笑っていなかった。

　美紗緒は恐怖に震えていた。
　目の前の女性は何を言っているのだろう。突然押し掛けてきて、訳の分からないことを言っている。私を使って何か企んでいるみたいだ。
　おまけに鳥さんも、あの女性の仲間みたい。どうしよう……、さっきまで一緒だったのに。
　考えれば考えるほど恐怖に打ちひしがれた美紗緒は、ドアを開けて逃げ出そうとした。
　バタン！
　美紗緒が居間から逃げようとする前に、ドアが勢いよくしまった。押しても引いてもびくともしない。
「逃げ出さなくてもいいのよ。あなたにちょっと、頼み事をしたいだけなんだから」
　魔法を使ってドアを閉めた裸魅亜は、自分ではにっこりと微笑んだつもりだが、やっぱり目が笑っていない。
「あなたにいいものを持ってきたの。魔法のステッキよ」
　裸魅亜は、美紗緒に魔法のステッキを押し付けた。羽根を模したと思われる極めてハイセンスな形のステッキだ。
「魔法の……ステッキ……？」
「そう。詳しいことは省くけど、あなたはこれから一年間、魔法少女ピクシィミサとなって世界中の人々をハッピーちゃんにするのよ！　そうすれば私も晴れて、ジュライの女王になれるの。どう、いい話だと思わない？」
　美紗緒にはどこがどういい話なのかは分からなかったが、魔法という言葉には魅力を感じていた。
　魔法の力が使えれば、パパとママが、仲直りするかもしれない。また一緒に、家族三人仲良く暮らせるかもしれない。
「……本当に、何でもできるんですか」
「そう！　気に入らないものをぶっ飛ばすこともできるし、意地悪した子を亡き者にだってできる。どんなものでもラブラブモンスターにしちゃうことだってできるのよ！」
「ねーさん、それって良い事なの？」
　いつの間にか復活を遂げた留魅耶が、裸魅亜の耳元でツッコミを入れた。
　裸魅亜は今度は黙って窓を開き、留魅耶をお空の彼方にほうり投げた。
「あの……、やっぱり要りません」
　美紗緒はおずおずと、ステッキを返そうとした。
「あら〜、いいじゃない。ねえ〜、一度だけでいいからさあ、変身してみてくれない？」
　何も知らない人を新興宗教に誘う勧誘員さんのようなセリフをはいて、裸魅亜は美紗緒を凝視した。
　裸魅亜の石化光線に見つめられて、美紗緒は凝固していた。
　どう対応をとったらいいのか、まるで分からない。
　両手に持たされた魔法のステッキを見つめて、美紗緒は迷っていた
「頼むよ、美紗緒。ボクたちを助けると思って」
　お空の彼方に飛ばされたはずなのに、いつの間にか戻ってきている留魅耶──鳥さんを見て、美紗緒は尋ねた。裸魅亜に比べたら、こちらの方が数倍話しやすい。
「……どうすれば、いいの？」
「ステッキを掲げて、ピクシィ・ミューテーション・マジカル・リコールと叫べばいいんだ。そうすれば美紗緒は、ミサになれる」
　留魅耶の言葉に、美紗緒はちょっと迷った。
「ぴ、ピクシィ・ミューテーション……？」
「ピクシィ・ミューテーション・マジカル・リコール！！」
　煮えきらない美紗緒に対し、裸魅亜が怒鳴った。
　その言葉にびくっとしたか、美紗緒はステッキを片手にあげた。折りたたみ式の魔法のステッキはは厚みを無視して二つに別れ、そのまま１８０度に開く。そして美紗緒は、かすれるような声で呪文を唱えた。
「……ぴ、ピクシィ・ミューテーション……マジカル……リコール……」

　世界中にわずかずつある、魔法の力。今では使うものもいないその力が集まって、美紗緒の周りに藍色の光の粒を形成した。その魔法の粒子が、彼女を魔法少女に変身させるのだ。
　豊かな漆黒の黒髪は、見るも鮮やかなプラチナブロンドに変色していた。来ている服装も、黒いレザーのボンテージスーツに変わっている。頭には羽根飾りの付いた帽子をかぶっている。
　しかし、変わったのは外見だけではなかった。
「ワーオ！　これが私なの。なんだか、グレーシャスにビューティホーって感じ」
　突然態度の変わった美紗緒──ミサを見て、留魅耶はひっくり返った。
「ね、ねーさん。美紗緒の様子が、ちょっとおかしいよ」
　気を取り直して、裸魅亜に尋ねた。
「気にしない、気にしない。ちょっと美紗緒の性格に手を加えて、積極的にしてあげただけよ」
「そうよ、ルーくん。ドントマーインド！」
　裸魅亜とミサに言われて、留魅耶は愕然とした。
「な……なんでまた」
「美紗緒の性格から考えて、あの子が積極的に良いことなんてすると思う？」
　裸魅亜は留魅耶に耳打ちした。
「そりゃそうだろうけど……、これって失点の対象だよ」
「いいの！　多少の失点は食らったって、最終的に私が女王になれればそれでいいんだから！　分かった！？」
　耳元で怒鳴り散らされて、留魅耶は痙攣した。
「それじゃあね、ミサ。ちょっと試しに魔法を使ってみてくれない」
「オッケー、お姉様。コーリング・ミスティック！」
　折り畳み式のステッキを開いてミサが呪文を唱えると、ステッキから発せられた光が棚に飾られてあった人形に当たった。美紗緒が大事にしていた人形だ。
　人形がガタガタと動きだした。
　魔法の力を与えられて、変化が起きようとしてた。
　人形はそのまま大きくなり、やがて等身大の動く人形となった。
「みなさ〜ん、私、カレン。交通ルールは守りましょう」
　なんと、人形は意思をもって、自分からしゃべりだすようになっていたのだ。
　それはキラキラのドレスを着てハイヒールを履いている、お目目までキラキラ星が輝いている等身大のお人形さんだった。
「ど〜お、お姉様。ラブラブモンスターの人形女、マドリッド・カレンちゃんよ」
「ま〜、ミサったらすごいわ〜。いきなり命のないものにまでこれだけの魔力を吹き込めるなんて」
　予想以上の実力に、裸魅亜も上機嫌だ。
「とーぜん。ミサはスペーシャルなエリートなのよ。人形女、アーリーいいことをするのよ！」
「わかりましたですわ、ミサ様」
　そういうと、人形女はのろのろと外に出かけていった。ハイヒールが高すぎて早く走れないのだ。
「ミサ、あなたの活躍、ジュライヘルムから見せもらうわよ。留魅耶、後お願いね」
　それだけいうと、裸魅亜はジュライヘルムへの直通回廊を使って帰ろうとした。
　しかし、寝耳に水だったのは留魅耶の方だ
「ちょっとねーさん。それってどーいう事？」
「あら〜、言ってなかったっけ。あなたはこれから、ミサのサポートとしてここに残るのよ」
「そんな！？　下見だけじゃなかったの？　聞いてないよ1?」
「じゃあ、今言っとくわ。ミサをお願いね〜」
「そんな……」
　一応抗議の声はあげたが、留魅耶に選択の余地は残されていなかった。彼が姉に逆らえるわけがない。
「そうそう、ルーくん。これからもハウドゥーユードゥね」
「とほほ……」
　留魅耶はため息をついた。彼の前途は多難そうだ。

　その７　親切の才能

　雷凰区東口商店街にお住まいの梅沢マツさん（８６歳）は、交差点の手前で躊躇していた。
　彼女は６５年間つれそって来た夫を３年前に失っていた。息子夫婦とは同居していたが、息子の嫁というのがこれがまたワンマンで、家事一切のことを取り仕切ってた。生来気の弱いところのあるマツさんは、何かと邪険にする嫁の言葉にも決して逆らおうとはせず、ただおとなしくハイハイということを聞いていた。
　そんなマツさんだったが、楽しみもあった。ニ、三ヶ月に１度、近所のお爺さんお婆さんたちを集めた慰労会というものが、町内会の主催で近くの公民館で行われるのだ。
　そこでは売れない落語家を集めた寄席をおこなっていたり、盆栽の祭典が行われたり、将棋や囲碁を指したりと、とにかくこういうことをすれば年寄りは喜ぶだろうという偏見に基づいた企画が行われるのだが、マツさんにとってはなんの気兼ねもせずに一人で行けるということが、年に何度もない楽しみだったのだ。
　しかしいつもの通路が今日に限って工事中で封鎖となり、少し遠回りをしなくてはならなくなった時、一人で来たことが仇になった。公民館はマツさんの家から見ると、少し離れた道幅の広い道路の向こう側にあるのだ。本来なら地下通路を通ればすむ話なのだが、その地下通路が通れなくなったのだ。そのためマツさんは、横断歩道を渡らなくてはならなくなった。
　昔はそうでもなかったが、その道路は北東方面には東京中心部、南西方面には横浜へ続くように道路を延長したため、ここ数年で交通量が飛躍的に増大していた。急激な交通量の増大に反して信号機の設置が追い付かなかったため、この交差点にはまだ信号機が設置されてなかった。
　マツさんは年のため、足腰が弱ってきていた。
　道いく人々もしらんぷりだった。特に若い人達は、近づこうともしない。都会者が不親切だという最近の風潮を如実に表わしている光景だ。
「こまったのう。これでは渡るに渡れませんのう」
　さっきからマツさんは、一人でブツブツと困り果てていた。ちょっと近づきがたいのも無理ないかも。
　と、そのとき。
「は〜い、そこのお婆ちゃん。さっきから道路を渡れずに困っていたですね。でも、カレンちゃんが来たからにはもう大丈夫よ。私がお婆ちゃんを、安心して横断歩道が渡れるようにしますですから」
　親切なお嬢さんがそう宣言して、マツさんに近づいてきたのだ。きらびやかなドレスを着たお嬢さんが、優雅な足取りでゆっくりと近づいてくる。こういう人は、親切な方だと昔から相場が決まっている。頭がちょっと大きいのがアレだったのだが、目が遠くなったマツさんには気にもならかった。
　ラブラブモンスター、人形女のマドリッド・カレンちゃんだ。
「カレンちゃんの大魔法！　お婆ちゃんが横断歩道、渡れますように」
　人形女がそういうと、横断歩道の両側に通行止めの掲示板が、道を塞ぐように立ち並んだ。
　これでもう車は横断歩道に進入できない。安心して渡れるというものだ。
「さあ、お婆ちゃん。一緒に行くですわ」
　人形女はそういうと、マツさんを導いて横断歩道を渡り始めた。マツさんは言うに及ばず、人形女もハイヒールをしているため早く歩けなかった。横断歩道を、ゆっくり、ゆっくり歩いて渡っている。
　もちろんその間、道路は封鎖状態だ。足留めを食らった車がクラクションなんか鳴らして早く渡れよーとかなんとか言ってるかもしれないが、耳も遠くなったマツさんにはやっぱり気にもならなかった。
「ありがとうね、お嬢ちゃん」
「いえいえ、お婆ちゃんもお元気でいくですわ」
　こうしてマツさんは、カレンちゃんと名乗る親切なお嬢さんのおかげで無事、道路を渡りきることができたとさ。
　よかったね、お婆ちゃん。

「これでまた一つ良いことをしましたですわ」
　人形女は、ミサから与えられた任務を忠実にこなしていた。
　下水におもちゃを落とした子供をみかけたらおもちゃを拾い上げてあげたし、電車に乗り遅れそうだった奥さんは電車に間に合わせた。ショッピングの帰りに荷物を抱えているお嬢さんたちをみかけたら、荷物持ちを手配したりもした。
　大きなお顔にきらきらお目目で助けてあげますぅとか言ってあげたら、みんなあんぐりして判断能力が一瞬なくなってしまう。そこをたたみかけて魔法を使い、困っている人達を助けてあげるのだ。
　その際、下水道を掘り返したり、電車がしばらくの間不通になったり、たまたま通りがかった男二人が調達されたりしていたが、たいした問題ではない。男二人に至っては、荷物を持てて喜んでるそぶりもみせていたし。
　それよりも人形女にとっては、困っている人を探すのが大変だった。そうそう都合よく困っている人をみかけられる訳がないのだ。
「う〜ん、困りましたねえ。この程度の親切さんでは、ミサ様の評価があがらないですわ、きっと」
　いや、評価があがらないのは別の問題があると思うぞ。
　さっきから目を大にして（って目が大きいのは人形だから当然なのだが）困っている人を探している人形女には、決して気付かないことだろうが。
　道行く人達も、遠巻きにして人形女を見ている。
　下手に近づいたら、どんな親切さんを受けるか分からないからだ。
　そんな困っている人形女のもとへ、天の声がかかってきた。
「待ちなさい！」
　それはもう、見事なぐらい計算されつくしたタイミングだ、
　見上げると、道路標識の上で、和服にミニスカートという少女が立っていた。バトンを右手に抱え、ポーズをとっている。
「小さな親切サミーにお任せ。魔法少女プリティサミー、オタスケマンで参上よ！」
　ばっちり決めゼリフまで言ってる。
　突然表われたおかしな格好のおかしな少女は、キリモミジャンプで人形女の前に着地すると、バトンを突きつけた。まるでトロワ様だ。
「あなたの親切さんは、間違ってるわ！」
　わー。周りのヤジ馬も、拍手喝采だ。
「そんな親切さんじゃ、いつまでたっても評価されないわ」
　そりゃそうだろう。周りの被害の方が多いんだもん。
「良いことは待っててもダメ。自分から見つけなくちゃいけないの！」
　あれ、どこか話の向きがずれてきてるぞ？
　周囲もざわめき始めた。
「一番いいのは悪事を見つける！　悪人をこらしめて改心させるのは、と〜ってもいいことなんだから」
　確かにそうだ、サミーは正しい。
　しかしいま、問題になってるのは目的達成のための手段であり。
「けっ、なにワケわかんねーこと言ってるんだよ」
　さっきから成り行きを見ていた通行人Ａさんが、言葉を吐き捨てた。ついでにタンも吐き捨てたりする。
「やあ！」
　サミーが通行人Ａさんをバトンで殴った。哀れＡさんは脳浸透さんで頭の上にひよこを飼うことになった。
「天下の公道でタンを吐き捨てるなんて、神様が許してもサミーが許さない！」
　周りのヤジ馬も、あっけに取られている。
　サミーはくるりと振り向くと、人形女に向かって言い放った。
「どう？　悪人を改心させれば、簡単にいいことができるのよ」
「まあ、カレンちゃん感激。どこのどなたか分かりませんが、ご教授、ありがとうございます」
「いえいえ、さっそく実行しなきゃ」
　親切な魔法少女に、人形女は感激した。

　人形女はきょろきょろ周りを見渡した。首が３６０度回転したりする。
「えーと、だれか悪い子ちゃんは……」
　ヴォン、ヴォンヴォン、ヴォォォォォォォォン！
　たまたまそこを通りかかったのは、これがまた時代遅れの暴走族さんだった。スピード無視してクラッカーを鳴らし、世露死苦だの血威無参上だのといったダザダザなのぼりを立ててる、いかにも青春は爆発だと言ってるような風体だ。あまりにダサいのか他に仲間がなく、一人で走っているのがかえってダサさに拍車をかけている。
　そんなこれ以上のご都合主義的展開はないといった登場の暴走族をみて、サミーは叫んだ。
「あれよ！　人形女さん。あのバイクを止めて！」
「はい、サミーさん」
　人形女は答えると、両手を前に突き出した。ひじ間接が外れた両腕が飛んでいく！
　これぞ古くはマジンガーＺの時代から、最近は１６号やいらっしゃいませロボまで使用する由緒正しき必殺技、ロケットパンチだ！
　もし人形女が超合金製だったら、ロケットパンチをくらった暴走族のＢくんは爆裂クラッシュして今頃お空のお星様だ。しかし人形女の体はプラスチック製だ。パンチが命中してもせいぜい打撲がいいところだろう。
　しかし威嚇効果としては十分だった。
　突然ぶつかってきた物体におどろいたＢくんは、驚いてハンドルをきり、アクセルワークで後輪をスピンさせてブレーキを入れて急停車した。
　一つ間違えれば大事故になりかねない危険なハンドリングだ。
　停車したＢくんはしばらく肝を冷やしていたが、やがてヘルメットを取るとどなり声をあげた。
「バッキャロー！　誰だ、危ねーじゃねーか！」
「あなた！　交通ルールを守らなくてもいいと思っているの！？」
　いきなり暴走族のＢくんの前に表われたサミーは、バトンを突きつけて言った。
「るせー、いきなりモノ投げ付けといて、ケガでもしたらどうするんだ」
「ケガを恐れるのなら、最初から暴走族なんてしちゃいけないんだよ！」
　極めて正論だ、手段さえ問わなければ。
　一方、Ｂくんにロケットパンチを放った人形女は。
「サミーさ〜ん、待っててくださーい」
　後方で飛んでいった両腕を探し回っていた。
「るっせー、このコスプレ女！　ひき殺してやろうか！！」
　話の通じないサミーに対ししびれを切らした暴走族のＢくんは、サミーにバイクを向けるとエンジンを吹かし始めた。
「反省しないの？　人形女さん、この人が二度と暴走族できないようにしちゃうのよ！！」
「は〜い」
　ようやく両腕を回収した人形女は、再び呪文を唱えた。
「カレンちゃんの大魔法！　バイクよ安全にな〜れ」
　人形女から発した魔法の物質がバイクに降り注いだ。
　キーコー、キーコ。
　いきなり視界の下がったＢくんは、何が起こったのか分からずにペダルをこいでいた。
　ペダル？
「あぁ──────────っ！」
　下を向いたＢくんは、自分の愛車がどうなっているのかを確認して悲鳴をあげた。
　彼が乗っているのは、三輪車だった。
「これで二度と暴走できないね。それじゃあ行こう！」
「はい、サミーさん」
「ああ、こら、待て！　待ちやがれ！！」
　キコキコキコキコ。
　去っていくサミーたちを追いかけようとした暴走族のＢくんだったが、歩くのより遅い三輪車では追い付けるはずもない。
　かくして、一つの悪を退治したサミーと人形女は、また新しい悪を探しに旅立ったのである。

　その８　ミサとサミーと人形女

　その頃ミサは、天野家の居間で、テレビを見ていた。
「うう、ジョー。無茶しないで」
　ミサは、アニメにのめり込んでいた。
　美紗緒でいた時は母親の言いつけをきちんと守り、テレビやマンガを読むことは決してしないのだが、今の彼女はミサ様だ。人形女の監視を留魅耶に任せ、自分は誰もいないリビングでアニメなんぞをじっくり鑑賞していた。
　今、彼女が見てるのは、昭和４０年代に流行ったロボットアニメ、「ゲキガンガー３」の再々々々々々々々放送だ。今の目で見ると子供だましもいいところの古典アニメだが、アニメ初めてのミサ様にはちょうど良かったのだろう。
　そんな時だ、留魅耶が帰ってきたのは。
「ミサー！　大変なんだ、人形女が！！」
　ちょっと慌てている。息せき切っているにも関らず話そうとしている。
「あらあ、ルーくん。いまベリーベリーいいところなんだから、話はちょっとウェイティングしてくれない？」
　いま、話はクライマックスだ。話しかけるなんてとんでもない。
　ゲキガンガーの二号機パイロット、海燕ジョーが己の身を犠牲にして仲間を救うシーンなのだ。見逃したら一生損するくらい感動的だ。
「しかし、人形女が……」
　留魅耶はそれでも必死に説得を試みようとしたが。
「シャーラップ！！　私の楽しみに勝るものは、この世にはナッシングなのよ」
　ミサは人差し指一本で留魅耶を黙らせた。
　姉さんにそっくりだ……。
　留魅耶はミサに、そんな感想を抱いた。だからテレビが終わるのを待つことにした。
　姉の裸魅亜は、魔法テレビの途中で邪魔が入ると留魅耶に当たり散らすからだ。

　からくも敵を退けたがジョーを死なせてしまい涙を流しているシーンで、ゲキガンガー３は今回の放映を終えたようだ。
「うう……ルーくん。ジョーが死んじゃったよ……」
　ミサは、涙を流してまで感動している。
「どこがいいんだ、こんなテレビ？」
「まあ、ルーくん。この良さがアンダスタンドできないなんて、ミサ、ちょっぴりセンチメンタル」
　そんなミサに呆れながらも、留魅耶は恐る恐る尋ねた。
「あのぅ、ミサ。もうそろそろいいかな？」
「ううん、あとちょっと待って。エンディングタイトルとプレビューが残っているから」
　初めてアニメを見るにしては、やけに番組構成に詳しいミサ様だった。
　仕方なしに留魅耶は、エンディングと次回予告が流れるのを待った。
　次回予告が終わるまでアニメに夢中だったミサは、番組が終わるとあっけからんと聞いてきた。
「さてと、ルーくん。さっきから何が言いたいの？」
「……大変なんだよ、ミサ。別の魔法少女が表われて、人形女を使って街を混乱に陥れているんだ」
「オーマイゴーッド！　それってばとぉ──ってもハードな状況じゃない！　どうしてアーリー話さなかったのよ、ホワイ？」
「ミサの方ががさっきから聞かなかったじゃないか！」
「そーだっけ。ミサったらちょっぴりミステイク」
　さっきまでの自分をすっかり棚に上げて留魅耶を責めていたミサは、バツが悪そうにポリポリ頭をかいた。
「だからさっきから早く事態を収拾しないとって言おうとしてたんだ」
「オッケー、ルーくん。私が行くからには、ノープロブレムよ」
　そう言うと魔法のステッキを掲げ、呪文を唱えた、
　次の瞬間、光よりも早くミサは移動していた。
　この世界の理論では不可能なことだが、魔法少女にとってはイロハを唱えるくらい簡単なことなのだ。

　人形女と魔法少女は、街を恐怖と混乱のるつぼに巻き込んでいた。
　なにしろ、拾ったお金をネコババしたり、つり銭間違いをごまかしたり、右側通行で左側をあるいたりするだけで、和服のコスプレ少女とギンギラドレスで顔のでかい女が正義(？)の制裁をおこなってくれるのだ。
　はっきりいってこれは恐い。
　今も、タバコを投げ棄てようとした哀れなサラリーマンのＣ氏が正義の制裁を受けるところだった。
「戸締まり用心火の用心！　たばこの投げ棄ては許さないもん！」
「タバコは灰皿に捨てなくてはいけませんですのよ」
「わ、わ、悪かった。もうせんから許してくれ」
　Ｃ氏は哀願したが、認められなかった。
　周りの人達も、遠巻きに様子を見ている。下手に手を出すと、悪者を助ける、すなわち悪という、まるでアメリアのような強引な論理で一緒に成敗されるかもしれなかったからだ。
「いいえ、二度と投げ棄てる必要が無くなるようにしてあげるのですわ」
　人形女はそう言うと、サラリーマンのＣ氏に魔法をかけた。
　Ｃ氏の背広のポケットの部分が、灰皿にかわった。どのように付いているのか、地面に水平に灰皿が生えてきたのだ。
　あわててＣ氏は灰皿を取ろうとしたが、どうしても背広から灰皿をとることができない。
「は〜い。これでもういつでもタバコを灰皿に捨てられるのですわ」
「もう二度と道端に捨てちゃダメだよ」
　サミーと人形女に睨まれて、サラリーマンのＣ氏は１０メートルほど後ずさってから逃げ出した。
「ありがとう、サミーさん。また一つ良いことができましたわ」
「良かったね、人形女さん」
　二人はお互いをたたえあった。もうすっかりツーカーの間柄だ。
　と、そのとき。
「ジャ──スト・ア・モーメント！　そこのプリティなあなた、これ以上のトラブルはナッシングよーん」
　天の声が聞こえてきた。

「誰なのよ」
　見上げると、背の低いビルの屋上に一人の少女が立っているのが見えた。
　周るの人達も、ざわめき始めた。
　その少女は、みるからにボンテージ・スタイルの怪しい格好をしている。頭には羽根飾りのついた帽子をかぶった金髪の少女で、言葉遣いまで怪しい。怪しい格好ではここにいる魔法少女もなかなかだが、怪しさ大爆発──と言った感じではあちらの少女の方が上だった。
「あなたがピクシィミサね」
「ちょーっとウェイト！　いきなり正体言うなんて、セオリー無視するんじゃない。決めゼリフが言えないじゃないのよ、ユーシー？」
　いきなり正体を言い当てたサミーに、ビルの上の少女は抗議した。
「あ、ごめんさない。それじゃあ改めて」
　コホンと咳を入れると、サミーはビルの上に表われた少女にバトンを突きつけた。
「私の邪魔するあなたは誰なの！」
「よーくぞ聞いてくれました！　わたぁーしの名前は魔法少女ピクシィミサ。そこのあなた、サミーとか言ったわね。トラブルを引き起こすあなたちゃんを、はきだしてあげちゃうわよん」
　両腕で天を仰いだポーズをとったミサと名乗る少女は、そのままの勢いでビシッっとワケの分からない決めゼリフを言った。
「ちょっと待って、私はあなたの人形女さんを手伝ってあげてたのよ！」
　サミーは反論した。ある意味、それは本当だ。
「ホワット！？　人形女、それ本当？」
　意外な反論に、ミサは自分の生み出した人形女に真偽を確かめた。
「本当ですわ、ミサ様。サミーさんは私のするべきことを教えてくれましたですわ」
「そう、そうだったの。人形女……」
　ミサはうつむいた。憂れいた表情がとってもピクシィだ。
「あなた、サミーにだまされて悪にソウルをセールしたのね！！」
「へ！？」
　ミサの意外な言葉に、人形女とサミーは目が点になった。
「ちょっとミサ様。それなんの事です」
「タウンのみんながトラブって困ったちゃんなのよ。それが悪でなくてホワット？」
「しかし私はミサ様のために……」
「ノーリスニング！　せめてもの情け、あなたは生みの親のわたぁーしがデリートしてあげるわ」
　今のミサ様は正義の魔法少女だ。私情は禁物なのだ。だからまるで人の話を聞いていなかった。
　正義の味方に必要なのは、思い込みの強さと自分の信念だけなのだから。
　だからミサは魔法のステッキを取り出すと、それをライフルの形にした。先端は銃口に、もう一方は窪んで肩当てに、トリガーと照準が中央にセッティングされた魔法の銃、マジカル・カノンに。
　そしてミサはトリガーを弾いた。
　マジカル・シュ────────ト！！！
　銃口から発射された魔法の弾丸は、人形女の体を貫いた！
「あーれー！！」
　ベタベタな悲鳴をあげて、人形女は倒れた。
「……わ…た…し、カレン。みなさん、手をあげて横断歩道を渡りましょう……」
　それが辞世の言葉だった。
　そして人形女はメタモルがとけて、本来の小さな人形の姿に戻った。もちろん、ボロボロだ。
　こうして悪の怪人マドリット・カレンは、突然表われた正義の魔法少女の一撃であっけなくやられた。
　街のみなさんも、惜しみない拍手で迎えてくれた。
　ありがとう、ミサ。ボクらはけっしてあなたを忘れない。
　街のみんなに笑顔を振りまくっていた正義の魔法少女は、もう一つ大事なことがあったのを思い出した。
「ホェア？　そういえばサミーってばどこ？」
「とっくに逃げちゃってるよ」
「あれ、ルーくん。いつの間にここに来てたの？」
　いつの間にかミサの肩に止まっていた留魅耶に気付いたが、ミサは気を取り直した。
「まあいいわ。今日のところは私がウィナー！　ピクシィミサ・ウィンよ」
　ミサはビルの上から、街のみんなに両手をふっていた。

　砂沙美は、自分が洋館の前で倒れていることに気付いていた。
「あれ……。砂沙美、どうしてこんなところに」
　確かＣＤの注文を受けて、この洋館にやってきて、それから……。
「みゃ〜」
　泣き声がしたので振り向いたら、一匹の小動物が屋敷の中に駆けていくことろだった。
「あ、さっきのウサちゃん……？」
　砂沙美には、洋館の中に入ってからの記憶がまるでなかった。
　そういえばＣＤはどうしたんだろう？
　砂沙美は自分が抱えているＣＤをみて驚いた。
「あ〜、包装が破けてる！！」
　どう言い訳しようか悩みながら、砂沙美は帰途についた。

　同時刻、ジュライヘルム皇の塔の謁見の間では。
「オーホホホホホ！　ミサってばさぁーっそく一つ事件を片付けたわ！」
　地上の様子を魔法スクリーンで眺めていた裸魅亜は、得意満面といった面持ちで高笑いしていた。
　そして同じく隣で様子を見ていた津名魅を見て言った。
「ところで津名魅。あのサミーとかいう魔法少女って一体誰なのかしら」
「きっと、どこかの親切な人が遣わしてくれたのですわ」
　きっぱりと言い切った津名魅の様子を見て、裸魅亜は考えた。
　ふん、津名魅が審議の邪魔をするために差し向けたのかと思っていたけど、どうも違うみたいね。あの衣装もどこかで見た事あるようだったけど、津名魅はしらばっくれるのが下手くそだし。第一、津名魅は地球へは一人でいけないヘッポコピーじゃないの！
　何か肝心なことを忘れている裸魅亜様だった。
「でもね、津名魅。事件は解決したのよ！　これでミサゲージも上がるわ──って、なに？」
　裸魅亜は、ミサゲージを指し示して誇ろうとしたが、肝心のミサゲージはなにも反応を示さなかった。
　ミサゲージとは、ミサが良いことをしたかどうかを表わすための判定機である。ミサがよい行いをするとそれに反応してゲージが一つずつ上がるはずなのだが、それはもう見事なまでに無反応だった。
「ちょっと、どうして？　なんで反応しないわけ？」
　裸魅亜は、ミサゲージに駆け寄って文句を言った。故障かと思ってゲシゲシ叩いてみたりもしたが──魔法の国の女王候補にしては野蛮な修理方法である──やっぱり何も反応しなかった。
　そんな裸魅亜の行動を後ろから眺めていた津名魅が、声をかけた。
「あの〜、今のはただ、自分の作ったラブラブモンスターを自分で片付けただけなのでは」
「へっ？」
　その言葉を聞いて、裸魅亜は石化した。
　確かにミサは、自分の不始末を自分で尻拭いしたにすぎない。サミーはミサの不始末を助長していただけだ。
「でもね、裸魅亜。まだ審議の時間は十分あるわ。これから良いことをすればいいのよ」
　石化した裸魅亜の両腕をとって、津名魅は裸魅亜を元気づけた。
　裸魅亜の耳に届いていたかどうかは別問題だが。
　そして津名魅は謁見の間を退出した。

　そこへ地球から帰還した魎皇鬼がやってきた。ここでは本来の少年の姿に戻っている。
「あら、魎皇鬼ですね。ご苦労様です」
　魎皇鬼は津名魅に近づくと、津名魅に声を掛けた。
「あの、津名魅様。どうして砂沙美ちゃんの記憶を消したのですか」
「良いことというのは、気付かれないようにこっそり行うものなのですよ」
　にっこりと津名魅は言い切った。
「そんなものなんですか」
「ええ」
　魎皇鬼は納得いかなかったが、とりあえずこれ以上の答えが帰ってくる見込みがないことは分かっていたので黙ることにした。
　津名魅は、謁見の間にいる裸魅亜を見た。相変わらず石化状態のままだ。
　そんな裸魅亜の様子を見て、津名魅は、
　これは、ますます私たちが頑張らなくてはいけませんね。
　密かに決意を固めるのだった。

　余談だが、石化が解けた裸魅亜が自室に戻り、部屋を全壊したのは７８分後のことである。