プロローグ

　バレンタイン・デー！
　それは女の子にとって、自分の心をチョコレートに封じて相手に伝えることの出来る、年に一度の特別な日。
　バレンタイン・デー！
　それは男の子にとって、自分のいい男度があからさまにされてしまう、年に一度の審判の日。
　あるものは叫び、あるものは笑う。
　恋人たちは愛の語らいを始め、あぶれ者が涙を流す。
　それがセント・バレンタイン・デー！　恋人達の記念日である。
　その聖なる記念日が近づいてくるにつれ、ここ雷凰学園にも一種のお祭りムードが漂い始めてきた。
　中等部や高等部の女生徒たちは、休み時間になると男の子の話題で花を咲かせ、お菓子の本を覗いたりするようになる。
　中にはそれまで仲の良かった娘同士が、あからさまに牽制しあったりする。
　たとえばこんな具合にだ。
「ねえねえ、真○先輩、すでに予約済みってホントー？」
「えー、ショックー！　結構かっこよかったのに」
「黒○クンや倉○クンは、今のところフリーらしいっていう噂だけど」
「ホント！？　じゃあ私、黒○クンに渡そっかなー」
「ちょっと、黒○クンは私が先に目を付けてたんだからね、割り込まないでよ！」
「じゃあ、勝負しましょ！　同時にチョコを渡して、より気に入ってもらえた方が勝ち。負けた方はあきらめるってのは？」
「ええ、いいわ。受けてたつわよ」
「ふふふ、私のお料理の腕前を甘く見ないでよ」
「私にケンカを売ったこと、後悔させてあげる」
「うふふふふふふふふふふふ」
「おーっほほほほほほほほほ」
　とまあ、これは極端な例かもしれないが。
　もちろん教師たちの中でも特に堅苦しい者たちは、この様子を苦虫をつぶして見ていた。中には職員会議で、バレンタイン当日に所持品検査をやろうなどという顰蹙物の提案をする教師もいたかもしれないが、今のところそれが実行に移される気配は無い。
　そんなお祭り前日のようなムードが雷凰学園に充満しているのだ。
　もちろん発生源は主に中等部や高等部の方なのだが、初等部にもこの空気は感染している。
　雷凰学園は幼等部から大学院までが一体になったマンモス学園である。しかも初等部、中等部、高等部は同じ敷地内に校舎が建てられているため、結構人の出入りが自由なのである。
　だから初等部の児童達の中に、中等部や高等部の生徒たちのマネをするおませさんたちがでてくるのも無理からぬことである。
　そしてそれは、砂沙美たちのいる４年３組も例外ではない。

　珍しく時間に遅れずに家を出た砂沙美は美紗緒と一緒に登校したため、いつもよりも早く教室に入ることが出来た。
「おっはよ───！」
「お、おはよう……」
　元気いっぱいに入ってきた砂沙美と、それにやや遅れるようにかがんで入ってきた美紗緒が教室で見たものは、クラスメートの女子たちがなにやら雑誌を読んで話し合っている姿だった。
「あれっ、みんな何してるの？」
　砂沙美が興味をひかれて除き込むと、その雑誌にはバレンタイン特集という文字が踊っていた。
「バッ、バレンタイン！？」
　まるでゲーム版サミーのように独り言の多い砂沙美に、クラスメートのＥ里は逆に聞き返した。
「そうよ、河合さん。あなたはチョコをあげる人はいないの？」
「えへへ。砂沙美、子供だからよく分かんない」
「いけないわ河合さん。人は愛しあうもの。愛を無くしたら、人は生きていけないということは知っておいた方がいいわ」
　なにやらわけの分からないことをいうＥ里ちゃんに、砂沙美の頭はクェスチョンマークだ。
「そういうＥ里ちゃんは、誰かあげる人がいるの？」
「ええ、そうよ。私は大学部の三○さんにチョコレートを送り、愛と真実を語りあうの」
「ええー！　大学生のー！？　まだ早いんじゃない」
　砂沙美の疑問にＥ里は。
「河合さんは分からないの？　真実の愛に年齢は関係ないということが」
　砂沙美は思わず首を横に振った。
「美紗緒ちゃん、分かる？」
「ううん、ちょっと……」
　砂沙美の隣で聞いていた美紗緒も、首を横に振った。
「まだあなた達には早かったようね。でも大人になれば分かるわ。真実の愛がどれほど素晴らしいかを」
　自分だって子供のくせに。
　砂沙美は、心の中で突っ込んでいた。

「おい、河合。おはよう」
　砂沙美が席につくなり、真嶋に声をかけられた。
「おっはよー、真嶋くん」
　砂沙美は返答した。
　すると真嶋は顔を真っ赤にしながら、砂沙美の隣の席に座ろうとしている美紗緒にも声をかける。
「それと、あ、天野、お……おはよう」
「……おはよう、真嶋くん」
　ふふふ、真嶋くんたらかーわいい。真っ赤になっちゃって。
　砂沙美は、ちょっと大人の気分になってウブな真嶋を横目で見ていた。
　そう、４年３組で一番のスポーツ少年である真嶋明弘は、事あるごとに美紗緒に対して話をかけて来るようになっていた。
　しかしその話しはというと、それがまるで内容が無いよう──書いてて恥ずかしいが──を地で行ってるようなもので。
　砂沙美の目から見ると、真嶋は美紗緒にたいして……で。
　しかし自分の気持ちを素直に伝えられないほどのシャイ・ボーイなのである。
　だけどその日は違った。
　真嶋が挨拶だけでは終わらせなかったのである。
「あの、バ……ババ……」
「ババ抜き？」
　砂沙美がチャチャを入れる。
「違う！　バレンタインってさあ」
　真嶋は一瞬怒ったが、すぐに美紗緒に向き直った。
　顔が真っ赤になっている。
「お……オレ、あ……あま……あの……」
　しっかりして真嶋くん！　言葉にしないと気持ちは伝わらないよ。
　もう林間学校の時のような思いはしたくないでしょ。
　砂沙美は、心の中で真嶋にエールをおくる。
「あの！　河合ってばさー、バレンタインって何か作るのか？」
　突然自分の方を向いた真嶋に、砂沙美はずっこけそうになった。
　椅子に座ったままだったので、椅子ごと後ろの机に頭をぶつけるところだ。
　さんざんじらしてなによ、それー！？
　砂沙美は真嶋のセリフに腹を立てた。
「いやー、このクラスで一番料理うまいの河合だろう？　なんか作るのかなーっと思って」
　真嶋は、頭の後ろをバリバリ掻いて行った。
　むろん真嶋の頭の中では、違うんだー！　俺はこんなことが言いたいんじゃないんだー！　とグルグル踊っているのだが。
　……全然進歩が無いな、真嶋。
「うわー、僕も聞きたいなあ。河合さんてどんなものを作っているのかな？」
　真嶋の友人である小山田くんがそれにあわせて尋ねてきた。
「おい、健二！　お前は毎年チョコもらってるじゃないか！」
「うん。きれいなお姉さん達が毎年くれるんだ」
　『レディ・キラー』の異名をとる小山田健二クンは、毎年バレンタインの季節になると中等部や高等部のお姉さんたちから「健二くーん、チョコあげるー」とチョコレートをもらうのだ。しかし本人は「うわー、きれいなお姉さんからチョコレートもらってうれしいなあ」程度の気持ちしか持ち合わせていない。もちろん、ホワイト・デーのお返しなど考えたことも無い。
　男の目から見たら、これほど憎たらしいやつもいないだろう。
「で、河合さんはバレンタインにはどんなのを作るのかな？」
　あつかましいといえばこれ以上あつかましいものは無いだろう的なセリフの前に、今度は砂沙美が顔を真っ赤にして膨れていた。
「さ、砂沙美、チョコレートをあげる相手なんてないもん！」
　そして砂沙美の席の隣では、話についていけずに不安げに砂沙美と真嶋をキョロキョロ見つめている美紗緒の姿があった。

　そんなふくれっつらをしている少女は河合砂沙美１０才──津名魅が見そめし魔法少女であり。
　キョロキョロ見つめている少女は天野美紗緒９才──裸魅亜が見そめし魔法少女である。
　バレンタインも近づいてきたその日、平和だった町に再び事件が起りそうな気配がした。

　その１　砂沙美　− Shopping −

　その日の放課後。
　緋室先生の長ったらしいホームルームも終わった後に、砂沙美は美紗緒に声をかけた。
「ねえねえ、美紗緒ちゃん。今日、塾ある？」
「え……」
「帰り道の途中で買い物に行くんだけど、ちょっと付き合ってくれない？」
　砂沙美ちゃんが誘ってくれている。美紗緒は今日の予定を思い出して答えた。
「うん。今日は学習塾の先生は風邪でお休みのはずだし、バイオリンの先生は発表会があるっていってたし、生け花の先生は旅行中だから、大丈夫よ」
「……ず、随分塾に通ってるんだね」
　砂沙美は一瞬ジト目になって美紗緒を見つめていた。
「ほかにもバレエとかピアノとかいろいろ習っているけど、ママがこのくらい当たり前よ……って言ってたけど、違うの？」
「さ、さあ？」
　カラオケ大魔神のちひろママと優柔不断でだらしない天地兄ちゃんの面倒を見るために、塾に通ったことすらない砂沙美に答えられるはずもなかった。

「買い物って、ここ？」
　美紗緒もちょっと驚いて尋ねた。
　ちょっと買い物に付き合って、と言って砂沙美が美紗緒を引き連れていったのは、なんのことはない、駅前の総合スーパー『ワイアット・アープ』だった。
　いつも砂沙美はこのスーパーで夕食のための食材を買ってきているのだ。それが目的なら、とりだてて美紗緒に付き合ってもらう程のものではない。
「うふふふふ」
　砂沙美は笑っている。
「何を買うの？」
「チョ・コ・レ・イ・ト」
「…………………え！？」
　美紗緒は少しの間反応を返せなかった。
　こんな駅前スーパーでチョコを買うというのも意外と言えば意外だが、それ以上に砂沙美ちゃんがチョコレートを！？
「こういう大手スーパーでも、チョコは売ってるの。自作用の割れチョコなんて、こういうところの方が安く売ってるんじゃないかな」
　自作……。バレンタイン・デーも近づいているこの時に、自作チョコレート？
　美紗緒は、自分がどんな顔をしていいのか分からなかった。
「さ、行こう。美紗緒ちゃん！」
　そんな美紗緒の様子に気付かずに、砂沙美はスーパーに入っていった。
　スーパーの中は、さながら喧騒だった。
　いつもと言えばいつものことだが、この日は特に大謝恩セールを行っていたのだ。
　だから、チョコレートコーナーはどこかな……と探しているうちに。
『まいど皆様、ご来店ありがとうございます。ただいまタイムサービスにて、お肉が全品三割引にて奉仕中』
　というアナウンスが聞こえてくると。
「うわ、美紗緒ちゃん、お肉三割引だって。今日はビーフシチューにしっようかっな♪」
　と言っては砂沙美が駆け出し。
『本日棚卸し！　下着コーナーにてソックス２足で１足分のお値段にて奉仕中！』
　という広告をみかければ。
「うーん、天地兄ちゃんの靴下破れかけたのが多いからなあ。ここでまとめて十足ぐらい買っちゃおうかな〜」
　と言っては頭を悩ませていた。
　小学生でありながら家計をあずかる身として、骨の髄まで主婦根性が染み付いてしまった結果だ。
「あの、砂沙美ちゃん。チョコレートは……」
「は、そうだった！！」
　美紗緒の言葉に我に返った砂沙美は、いつも目を付けていたお菓子コーナーに向かっていった。

「ふうふう、まだ残っているかな」
　思わぬブービートラップに見事にはまりまくった砂沙美がようやくチョコレート売り場にたどりついた時、一瞬本気でチョコが残っているかどうか心配した。
　実際にはまだまだ夕刻には早い時間帯だし、そうそう売り切れるものではないのだが。
　だから砂沙美と美紗緒は、棚に陳列されたチョコレートの品揃えを見て感嘆の声をあげた。
「うわぁ、美紗緒ちゃん。チョコレートっていろいろあるんだね」
「う……うん」
　ハート型のチョコや動物型のチョコが、箱に入ってリボンをかけられているいかにもかわいらしさを強調したチョコや、そこそこ高い値段にいくつか高級そうなチョコの入っている、いかにも高級そうなイメージを重視したチョコなど、いろいろな種類のチョコレートがそこかしことならべられているのだ。
　それこそ義理チョコ用の１個十円といったチロルなチョコや、袋入りのチョコキャンデーまで……。
「あれ、美星お姉ちゃん！？」
「フフンフーン、フフンフンフーン♪」
　砂沙美たちがチョココーナーに見とれていると、見知った顔がやってきた。ウェーブの入った金髪のポニーテールに、小麦色の肌。のんきに鼻歌なんぞをうたっているその人物は雷凰大学に通う、水谷美星その人であった。
「あらあら、砂沙美ちゃん。まあ、美紗緒ちゃんも」
　美星は、砂沙美と美紗緒の姿に気がつくと、声をあげた。
「どうしたの、二人揃って？」
「美星お姉ちゃんこそ、どうしたの。そんなにチョコ買い込んで」
　美星の買い物かごの中には、割れチョコが３袋入っているのは勿論のこと、パラソルチョコやハウスチョコ、ツリーチョコなどのデコレーション・チョコレートがいっぱい入っていた。
「もうすぐ２月１４日ですからねえ。ちょっといろいろと作ろうと思いまして」
「はあ〜」
　砂沙美は溜め息をついた。一体何を作るつもりなんだろう？
「そういう砂沙美ちゃん達は、どうして……」
　そう言いかけて、美星はやっと思い付いたように気付いた。
「ああ、バレンタイン・チョコレートを買いに来たのね。これなんかどう？」
「いえ、砂沙美、自分で作るから」
「あらそうなんですか。割れチョコは向こうにあるわよ。あと少ししか残ってませんでしたから早く行った方が良いですよ」
　そういって美星はその場を立ち去った。
「ええっと、あとは生クリームにスポンジケーキ、ケーキ用のパウダーに、そうそうイチゴも欠かせませんねえ」
　……後に残された砂沙美と美紗緒は、その場に立ち尽くした。
「美星お姉ちゃん、何作るつもりなんだろ？」
「……チョコレートケーキじゃないかしら？」
　美星お姉ちゃん（さん）がチョコレートケーキをつくる……。
「また清音お姉ちゃんに迷惑かけて、怒らせたりしないかなあ？」
「……うん」
　その現場を想像して、ちょっと恐い考えになってしまった砂沙美と美紗緒だった。

　砂沙美たちが割れチョコの置き場所についた時、そこは空っぽだった。
「ああ、ない！？」
　砂沙美はその光景をみて立ち尽くした。
　せっかく気合いを入れてチョコを作ろうと思ったのに……。
　バカバカ、砂沙美のバカ！　タイムセールスや棚卸しセールなんかに気をとられているから。
　激しく後悔している砂沙美だった。
　美紗緒も、気落ちした砂沙美ちゃんの姿を見て立ち尽くした。
　砂沙美ちゃん、がっかりしている。どうしてそんなに……。
　そんな失望という名の千尋の谷のどん底に突き落とされて這いあがれないような二人の少女に、かけられてくる声があった。
「あれ、砂沙美ちゃんに美紗緒ちゃんじゃねーか」
「……魎呼お姉ちゃん！」
　そう、それは雷凰学園高等部一年に所属していて天地にラブラブな、折笠魎呼そのひとである。
「うん、どうしたんだ？　そんなシケた顔してさあ」
「……チョコレートが、ないの」
　見ると他のチョコレートはまだ棚の中に十分に残っているのに対し、割れチョコが納まっていた棚だけは見事なまでに空っぽだった。
　それを見て、魎呼ははっとした表情になった。露骨に気まずそうな顔だ。
　魎呼の買い物かごの中には、それこそ割れチョコの袋が１０袋から２０袋ぐらい入っていたからだ。
「魎呼お姉ちゃん、それ……」
「ん、まあな。バレンタインに向けて、あたしの愛情がたっぷりはいった特大のチョコレートを送ろうと思って買ったんだけどな……」
　コホンと咳払いした。さすがにちょっと買い過ぎだったか。
「まあ、少し量が多かったかな？　砂沙美ちゃんもチョコを作るんだろ？」
　コクンと砂沙美はうなづいた。
「じゃあ、これ譲るわ。これだけあれば足りるだろ？」
　そういって、魎呼は割れチョコの袋を５つ６つ砂沙美の買い物かごの中に入れた。
「え、でも、魎呼お姉ちゃん……」
「いいから気にすんなって。足りなくなった分はなんとでもなるからな」
　魎呼はそう言って笑うと、すぐ側にあった棚の中からチョコキャンデーの袋を幾つか取り出して買い物かごの中にいれた。
「な、どうとでもなるだろ」
「あっ！」
　魎呼の機転に、砂沙美は驚いた。
　確かに原材料がチョコレートなら、割れチョコだろうが既製品だろうが問題は無い。多少割高になるかもしれないが、どうせ一度は溶かしてしまうのだから。
　砂沙美はそれに気付かなかったが、魎呼はわざわざ自分が割高な分を引っ被ってくれたんだ。
「ありがとう、魎呼お姉ちゃん」
「いいから気にすんなって。天地によろしくな」
　あ、やっぱり。
　いまから小姑との付き合いを大切にする魎呼だった。
　そんな砂沙美と魎呼のやり取りを眺めていた美紗緒は、さっきから疑問に思っていた事を口にした。
「あの、魎呼さん、どんなチョコ作るのかしら」
「え？　特大のハート型チョコでも作るんじゃないの？」
　砂沙美が聞き返した。なぜそんなことを聞くのか分からないって言う表情だ。
「でも、さっき買い物かごの中に、ワインとかブランデーとかのボトルも入っていたんだけど」
「え゛！？」
　砂沙美は絶句した。
　魎呼お姉ちゃん、天地兄ちゃんにどんなチョコレートを作る気なのかなあ……。

　その２ 阿重霞　− Intermission 1 −

　はむ、はむ、はむ、はむ、はむ。
　高田財閥の長女にして雷凰学園高等部一年生でありながら生徒会長を勤める高田阿重霞様は、自宅の一室でチョコレートをご賞味遊ばされていた。
　今、阿重霞の自室には、世界中から取り寄せたチョコレートの箱がいっぱい、山積みになって置かれているのだ。
　阿重霞様はそのうちの一つの包装を開け、チョコを一つ口に含んでいるのである。
「さすがにアメリカのハーシーズから取り寄せたチョコレートですわね。甘い味がお口の中いっぱいにとろけるようで、それでいて少しもくどくありませんわ」
「でわ、これにいたしましょうか。お嬢様」
　阿重霞に命じられお側に待機していたメイドの高岡まくら（１９歳・独身）が、声をかけた。
「いいえ、甘い中にもぴりっとした感覚が足りなく感じられます。恋は甘く切ないもの。私のそんな恋心を伝えるにはこの程度の味では不十分です」
　そういうと阿重霞は、まだたくさん残っているチョコの箱を脇にのけてしまった。
　のけられた先には、他にも開封されながらほとんど手をつけられていないチョコレートの箱がいっぱい、無造作に置かれている。
　あーあ、もったいないわ。
　私だってね、そのくらい高級なチョコの一つや二つ、ボーイフレンドに送りたいのに。
　側で見ていたまくらは、そう思わずに入られなかった。
　ボーイフレンドがいるかどうかは、また別問題であるが。
「まくらさん、次を持ってきてください」
「あ、はい」
　そういって山積みのチョコの箱の中から、別のチョコレート菓子を取り出す。
「このブルボンのなんかどうでしょう。ボトルをかたどったウィスキーボンボンです。中にウィスキーが入ってます」
「あら、本当。ステキな恋の演出に、ぴったりかもしれませんわねえ」
　そういうと阿重霞は、包みを開けて中から一つ取り出す。
　はむ、はむ、はむ、はむ、はむ。
「うん、チョコの甘さとウィスキーの苦味が解け合って、絶妙のハーモニーが演出されていますわ」
　うっとりと目を閉じて、味わう阿重霞様。
　ここまではいい。
　だが。
「しかし、天地様は真面目なお方ですから、お酒入りのチョコを送ったら私が大酒飲みのはしたない女の子だと思われてしまうかもしれませんわ」
　そういってまたも脇にのけてしまった。
　つまり阿重霞は、バレンタインのチョコの品定めを行っていたのだ。
　彼氏いない暦１９年の高岡まくらが、めいいっぱいあてられていたのも無理は無い。

　突然、部屋の入り口がギィっと開いた。
　ノックもせずに阿重霞の部屋に入る。そんな失礼な住人はこの高田家には一人しかいない。
「阿重霞お姉たま、帰ってきてから部屋にこもって一体、何をなさっているのでちゅか？」
「あら、季枝霞お嬢様」
　まくらが声をかける。
　そう、５歳児にして２０歳なみの頭脳と感性を誇る、高田季枝霞その人である。
「なんです、季枝霞。ノックもせずに入ってきて」
「午後のティータイムにも出ないで何しているのか、心配になって覗きに来ただけでちゅ。しかしその様子でちゅと、夕食もいらなさそうでちゅね」
「お黙りなさい！　私が天地様に最高のチョコレートを送るために、努力をしている事が分からないのですか！」
　しかし季枝霞は、そんな阿重霞の反論などちゃんちゃら聞き流していた。
「天地お兄たまでちゅか。確かにいい人だとは認めまちゅが、所詮はパンピー。そんな高級そうなチョコの味の区別なんてつかないと思いまちゅよ」
「お黙りなさい！　要は真心の問題です！」
　季枝霞の客観的かつ冷徹なツッコミに、阿重霞は激昂した。
「真心でちゅか。それだったらお金にあかせて取り寄せたチョコよりも、おいしい自作チョコを送ってあげた方が何倍もちゅたわるってものでちゅ」
「ぐ……」
　阿重霞は返事につまった。高田家の長女として華道、茶道、舞踏を修め、さらには謎の中国拳法をも極めた彼女であるが、なぜか料理だけはズギャンのパーだからだ。
　もし阿重霞がチョコレートを自作すれば、どんなチョコが出来るか分かったものではない。
「ま、そーゆーわけでちゅから、これからあたちは出かけていくでちゅ」
「待ちなさい。何がそういうわけなの！？」
「いとしの愛くんにおいちい手作りのチョコをあげるためでちゅ。お姉たまはせいぜい既製品のチョコからおいちいのを選んでおくでちゅ」
　言いたいだけ言うと、季枝霞ちゃまは阿重霞の部屋からさっさと退出してしまった。
　一方、言いたいだけ言われて言い負かされた阿重霞様は。
　殺す！　絶対に殺す！
　頭に体内の血の半分ぐらいをたえぎらせて怒っていた。確実に脳内の毛細血管の幾つかはぶち切れただろう。
　そんな阿重霞様に、姉妹のおもろかしくも恐ろしい対話を何も言えずに聞いていたまくらが声をかけた。
「あの、阿重霞お嬢様……」
「まくら！」
「はいぃっ！？」
　阿重霞の言葉に脊髄反射して、まくらが姿勢をただす。
「さっさと次のチョコを持ってきなさい！」
「はいっ！　では、このノエル・ド・ブッシュのスポンジチョコケーキは……」
　その日、阿重霞の真心のチョコレート試食は、彼女が鼻血を吹いて倒れるまで続いたという。

　その３ 季枝霞　− Cooking −

　河合家に帰ってきた砂沙美は、美紗緒も一緒に家に連れてきていた。
「ただいまー」
「おじゃまします……」
　そんな二人を砂沙美の母親のちひろママが出迎えてくれる。
「お帰り、砂沙美ちゃん。あら、美紗緒ちゃんも！？」
「おじゃまします、ママさん」
「あらあら、ゆっくりしてってね」
　友達を歓迎してくれるちひろママに、砂沙美が声をかける。
「ママ、お店の方はどうしたの」
　見ればちひろママの右手には、しっかりとマイクが握られている。真面目に店番をしてなかった証拠だ。
　今日はアルバイトの美星と清音が二人とも休みを取っているために、ちひろが店番をしなければならないのだが。
「大丈夫よぉ〜。今日は天地ちゃんが珍しく早く帰って来て、店の方をやっているから」
「天地兄ちゃんが？　いつもは魎呼お姉ちゃんと阿重霞お姉ちゃんに付きまとわれてボロボロにされて、夕方になるまで帰って来ないのに」
「ほーんと、天地ちゃんたらもてもての稲妻野郎なんだからぁ」
　その追っかけの魎呼と阿重霞が何をしているのか、砂沙美はなんとなく想像できるような気がした。
　だが今のところは全く関係無いので無視することにする。
　砂沙美はちひろに聞いた。
「あのね、ママ。しばらく台所使っていい？」
　いいも何も、河合家で台所を使うのはたいがい砂沙美なのだが。
「いいけど、何かつくるの」
　そういいかけて、ちひろママは砂沙美が手にぶら下げている買い物袋に気付いた。
「あらあら、砂沙美ちゃん。チョコレートを作るの？　そうねえ、もうすぐバレンタイン・デーだからねぇ」
　そういって含み笑いするちひろママに、砂沙美は顔を真っ赤にして否定した。
「ち……違う、そんなんじゃないもん。ただ作りたくなったからチョコ作るだけだもん」
「照れない照れない。ママもね、昔は自作チョコ作ったものよ」
「え゛……、ママの自作チョコって？」
　ちひろママのオリジナルレシピを知り尽くしている砂沙美は、ジト目になって聞いた。
「まさかガム入りチョコとか」
「噛んでも噛んでもなくならないエコノミーなチョコじゃない」
「……喉にガムがつまりそう」
「それとも梅干しチョコとか」
「あらぁ、梅干しは体に良いのよ」
「……チョコの甘さにあわないと思う……」
「あとまさかシャケチョコなんて作ったんじゃないでしょうね。こないだ骨が喉に入って大変だったんだけど」
「まあ砂沙美ちゃん、好ききらいしたらダメじゃないの」
「好ききらい以前の問題じゃないかしら……」
　とんでもない親子の会話に、美紗緒も目を丸くしている。
「でもあの人ったら、私のチョコをそれはもうおいしそうに食べてくれたのよ。その時のママったらもう嬉しくて嬉しくて。でね、その人が砂沙美ちゃんのパパさんなの」
「……パパって、実はけっこうすごい人だったりして」
　河合家のルーツをまた一つ知ってしまった砂沙美だった。

　鞄を居間に置いた砂沙美と美紗緒は、そのまま台所へと向かった。
「砂沙美ちゃん、チョコレートって、何を作るの？」
「んーとね、先ずは動物チョコでも作ろうか」
「みゃ〜」
　いつの間にか魎皇鬼まで一緒に付いてきている。
　砂沙美は、チョコと一緒に買ってきた動物や星の型を取り出した。
　まずチョコレートを溶かす。
　砂沙美はまずステンレス製のボールを取り出し、水を半分にまで入れた。
　次にそのボールを火にかけ、水を６５度くらいのお湯になるまであたためる。
　それとは別に小型の鍋を用意し、そこに袋からチョコを取り出して、細かく砕いて入れる。
　そうしてできた鍋を湯煎にかける。湯で暖まったボウルの中に入れてチョコを溶かすのだ。
「ねえ、砂沙美ちゃん。どうして鍋を直接火にかけたらいけないの？」
　それまでの砂沙美の手順を見ていた美紗緒は、率直な疑問をぶつけてきた。
　ストレートな美紗緒の物言いに、砂沙美もホームランスィングで返す。
「うんーとね、直火にかけると、チョコが焦げ付くからだと思うよ」
「へえー」
　いったん溶けたチョコの鍋をかき混ぜて、今度は２５度くらいの水の入ったボールに入れて冷やす。
　それから３５度のお湯で再び湯煎をし、３０度くらいにまで温めてから型に流し込むのだ。
「ほら、これが犬さんのチョコレート。これがうさぎさんのチョコレート」
　次々とチョコを型にいれると、中に混ざり込んだ空気を抜くために少し揺らしてみるのである。
「この型、リョーちゃんみたい。これ、リョーちゃんチョコね」
「んみゃー」
「美紗緒ちゃんもやってみる、ほら」
「えっ……」
　砂沙美は、美紗緒にチョコの入った鍋の取っ手を握らせた。
　うつむきながらも、美紗緒は型を取り出した。
「じゃ、じゃあ、この鳥さんのチョコを……」
　そういって取り出した美紗緒の型は、どこか美紗緒のよく知っている鳥を彷彿とさせた。
　そういえば鳥さん、最近みかけないけど、一体どうしたんだろう……。
　トロトロトロトロトロ。
　美紗緒は慎重にチョコを型に流し込んでいた。

「あの……、砂沙美ちゃん」
　型にチョコを流し終わった美紗緒は、さっきから疑問に思っていた事を思い切って砂沙美に尋ねてみた。
「なに、美紗緒ちゃん」
「このチョコ、真嶋くんの？」
「え！？」
　意外と言えばあまりにも意外な美紗緒の質問に、砂沙美もびっくりした。
「ど、どどどどどどうしてここで真嶋くんが出てくるの！？」
「だって、真嶋くん、この頃砂沙美ちゃんによく挨拶してくるし……、私にははっきりとは挨拶しないのに……」
　シャイな真嶋くんは、何かと砂沙美にかこつけないと憧れの美紗緒ちゃんに挨拶すらできないのである。
「ち、違うって。美紗緒ちゃんの思い過ごしだって」
　真嶋くんが好きなのは、美紗緒ちゃんなんだよ。美紗緒ちゃん、気付いてないだろうけど。
　しかし。
　そんな砂沙美の心のうちを知らず、美紗緒は言葉を続けた。
「真嶋くん……、砂沙美ちゃんのことが好きなのかな。だから砂沙美ちゃん、チョコをあげる気になったのかな」
　もし、砂沙美ちゃんが真嶋くんと付き合ったりしたら、砂沙美ちゃん、私のことを忘れちゃったりして。ううん、砂沙美ちゃんのことだから私とも今まで通り付き合ってくれると思う。でも……いつもってわけにはいかなくなるよね。
　美紗緒は、胸のうちから不安が湧き出てくるのを押さえられなかった。
　一方、砂沙美はというと。
「な、な、なに言ってるの美紗緒ちゃん！　砂沙美はただチョコレートのお菓子を作りたいなーって思っただけで、そんな真嶋くんを横取りする気は、全然、まったく、これっぽっちもないから。は、はは、ははは……」
　扇風機のようにブンブン首を振りながら、きっぱりと否定した。
　んもー、真嶋くんったら。はっきり気持ち伝えないから美紗緒ちゃん、誤解してるじゃないのー。
　砂沙美は、真嶋に心の中で文句を言った。
「さ、さあこの話は打ち切って、型取りしたチョコを冷蔵庫に入れないと」
　取り繕うようにいうと、砂沙美はチョコの型をトレイに載せ、冷蔵庫にしまった。
　あとはチョコが冷えて固まってくれるのを待つのみである。
「さあて、今度は大きなハート型チョコを作ろっかな！？」
「え、アレを渡すんじゃないの？」
「今のは練習。今度はちょっと凝った難しいのに挑戦しようと思うの」
「……」
　美紗緒は目を丸くした。
　ピンポ〜ン。
　河合家の玄関からチャイムがなったのはその時である。
「あれ、誰か来たみたい？」
　パタパタパタ。
　どうやらちひろママが応対してくれているようである。だから。
「じゃあ、次始めようか。レッツらゴ〜」
　と砂沙美が次のチョコの作成に取り掛かろうとしたときに、ちひろママから声がかかってきた。
「砂沙美ちゃーん、季枝霞ちゃんが来たわよー♪わよー♪わよー♪」
　カラオケでエコーがかかった声で呼ばれたため、砂沙美は突っ伏した。

　河合家に乗り込んできた季枝霞を見て砂沙美が驚いたのは、まずその高級そうなチョコレートやケーキなどの食材を季枝霞が持ち込んできたからだ。
「き……季枝霞ちゃん。なんでこんなところに」
　過去、季枝霞と関ってろくな目にあった例のない砂沙美が、ジト目で季枝霞を出迎えた。美紗緒もどう対応を取ったらいいかわからない。
「ふ、決まってることでちゅ。あたちが愛しの愛くん（５歳・独身）に愛情いっぱいの手作りチョコを渡すために、チョコを作ってもらいに来たのでちゅ」
　決して、チョコを作るのを手伝ってもらいに来たの間違いではない。
「な……なんであたしが」
　理不尽な季枝霞の物言いに、砂沙美が反論した。
「決まってるじゃないでちゅか。あたちの知り合いで、いちばん料理がうまくて手伝ってくれそうな人を探したまでのことでちゅ。それともなんでちゅか、砂沙美お姉たまは５歳児であるあたちに一人でチョコをつくれというんでちゅか。背丈も足りまちぇんのに？」
　とんでもない言い訳である。
　それでも砂沙美は、精一杯の抵抗を試みた。
「愛情の手作りチョコと言うわりには、季枝霞ちゃんは何にもしないんだね」
「なに言ってるでちゅ。あたちは愛情込めて監督をするに決まってまちゅ」
　あっさりと言い切った季枝霞に、砂沙美も二の句をあげることが出来なかった。
　季枝霞はそんな砂沙美たちに構わずに、ずかずかと台所に上がってくる。
「どうやら砂沙美お姉たまもチョコを作っていたみたいでちゅけど、しかし材料が安物でちゅねー。あたちのチョコをつくったら、あとに残った材料は自由にちゅかって構いまちぇんから、さっさと始めるでちゅよ」
　暴虐無尽な季枝霞のセリフに、砂沙美は従うしかなかった。
「いいの……、砂沙美ちゃん？」
　砂沙美のしょげた様子を心配した美紗緒が声をかけてきたが。
「仕方ないよ。季枝霞ちゃんの言葉に逆らうと、あとでどんな目にあうか分からないもん」
　しくしくしく。
　砂沙美は滝の涙を流していた。
　今までの経験から、季枝霞には下手に逆らわないほうがいいということを、身をもって学んでいたからこその砂沙美の決断であった。
「……運命かなあ」
　側で見ていた魎皇鬼も、そう呟かずにはいられなかった。

　その４ 魎呼　　− Intermission 2 −

　雷凰学園高等部の一年生である折笠魎呼は、木造モルタルのアパートの自室でチョコレートの制作に挑もうとしていた。
　魎呼は普段、料理というものをしたことがない。普段の食事は外食か、バイト先のコンビニエンス・ストアから購入してきた弁当ですませることが多い。
　だから魎呼の部屋に備えつけられている台所は、ほとんど使われたことがない。
　しかし今、魎呼はその禁を敢えて侵し、台所に立っている。
　バレンタイン・チョコを作るためだ。
　どんなチョコが出来るのかは、本人ですら分かっていないに違いない。

「まず最初はチョコを溶かすんだよな」
　魎呼は、ステンレスのボールをとりだした。
　普段料理をしない彼女の台所に、ステンレス製のボールがあったのは僥倖だったといえる。もし無かったら魎呼は、プラスチック製のボールでチョコを溶かそうとしたかもしれない。
「……チョコを細かく砕くんだったっけ？　めんどくせーなー」
　割れチョコを細かく砕くなんてことはせず、そのまま入れる。
　そして足りなくなった割れチョコの代わりに買ってきたチョコキャンデーも、やっぱりそのまま入れた。チョコキャンデーを包んでいる包装ビニールを一つずつほどくのは面倒臭かったが、さすがにそれは、天地にビニール入りチョコを食わせる非常識さを持ち合わせていなかったのでひとつずつめくっていった。
　そうしてチョコを入れたボールを、火にかけるのだ。
「チョコを入れた鍋は、湯煎をするんだっけ。『湯煎』てなんだ？　直接温めた方が溶けるのも早いに決まってるじゃんか」
　そういって、ボールをそのままコンロに乗せて着火した。
　普通チョコを直火にかけるのは、缶コーヒーを直火にかけるほどやってはいけないことである。変に焦げ付いて苦味がでるかもしれないし、ボールにこびりついてしまう。
　しかし魎呼はそんなことは気にしない。
　気にするはずも無い。
　火にかけたチョコを眺めていた魎呼は、チョコの溶けるのが遅いことにいらつき始めた。
「おっかしーなー。鍋が暖まればすぐに溶けるはずなんだが……」
　本屋で立ち読みした料理の本の内容を思い出して文句をいう魎呼。チョコを買うのに予算を使い果たし、本まで金が回らなかったためである。
　しかしすぐに溶けるのは細かく砕いたチョコを温めた時であり、砕かずにそのまま入れたチョコは、ボールとの接触面からしか溶け出さないのは当前といえば当前の話なのだが。
「えーいもう！」
　業を煮やした魎呼はオタマを使い、強引にチョコをかき混ぜた。
　最初っから砕いた方が労力も少なかったのに……とは魎呼は微塵も思わない。
　溶けたチョコを前に、魎呼は買ってきたブランデーのハーフボトルを取り出した。
「やっぱ大人のムードで迫るには酒だよな〜」
　というのは魎呼の弁である。彼女は、ブランデー入りチョコレートを作るつもりだった。
　ボトルの栓を抜くと、そのままどばどばどば……っとボールに流し込んだ。
　冷やしても固めてもいないチョコレートにである。
　本来チョコレートを溶かす時には、水分は決して入れないように気をつけるべきである。もし余計な水分が混入したりしたら、そこを中心にチョコレートが固まってしまったり、チョコレートが濁ったりしてしまうことがあるからだ。
　しかし魎呼はそんなことは知らない。知っても気にしないはずだ。
「あれ、全然ブランデーが溶けねーぞ。どうなってんだ？」
　当たり前である。いくらチョコレートの量が多くても、ハーフとはいえボトルごとブランデーを入れたら溶けきるわけがない。
「しゃーねーなあ」
　しかし魎呼は、またも力技でそれを解決した。
　強火で沸騰するまで熱しながら、オタマで強引にかき混ぜてチョコとブランデーを溶け合わせたのだ。
　アルコールは揮発性で、その沸点は水より低い。日本酒の熱燗だって湯煎しながら、アルコール分が抜けない程度にしか温めないというのに。
　そうして溶かしたチョコを、今度は型に流し込む。
　もともと量が多いため、超特大のハート型チョコレートの型に入れることが出来た。
「うーん、なんかびしゃびしゃしてるような〜」
　いまだ湯気のたっているチョコの前で、魎呼は少し疑問に思った。
　当たり前だ。ブランデーをハーフボトル一本分入れたんだから。
　しかし。
「まあ、まだ熱いんだからこんなもんだろ」
　この一言で魎呼は疑問を解決してしまった。
「最後は、冷蔵庫で固めるんだったな」
　魎呼は型取りしたチョコを冷ますなんてことはせずに、そのまま冷蔵庫の冷凍室に入れる。
　これで明日の朝までにはカチンコチンに固まっているはずだ。
　魎呼流ブランデー風味チョコレートの完成である。
　お味の方は、きっと保証はできないだろうししたくもないが。
「さてと、今度はワイン入りチョコでもつくるか」
　魎呼はそう言うと、今度はワインのハーフボトルを取り出した。

　その５ 美紗緒　− Breaking −

　地球とは対をなす、魔法の世界。
　ここジュライヘルムの皇の塔では、次期女王第一候補である津名魅様が、料理にいそしんでおられた。
　そこに、次期女王第二候補である裸魅亜様が声をかけてきた。
「あら津名魅。あんた一体なにやってるのよ」
「あら、裸魅亜。ちょっとチョコレートのお菓子を作ろうと思って」
　津名魅の前には、魔法で溶かした魔法チョコレートがボールいっぱいにあり、他にも魔法生クリームに、魔法コーンフレーク、魔法ココナッツに魔法パウダーなどいろいろな材料が取りそろえられていた。
「あら津名魅、あんた料理を作ったことあるの？」
　裸魅亜は疑問に思った。
　それも当然だろう。
　津名魅は裸魅亜には及ばないとはいえ、女王候補に挙がるほどの魔法の素質の持ち主だ。皇の塔で訓練を受けている魔法使いたちの中でも特に素質を認められている者には、たいがい身の回りの世話をする付き人や王政職員がつく。自分で食事を作る必要などないのである。
　だから津名魅はもちろん、裸魅亜だってここ４００年間は一度も料理をしたことがない。
「いえね、砂沙美ちゃんの様子を見ていたら、なにやら２月１４日はバレンタイン・デーということで、チョコレートを作っているみたいですから」
「バレンタイン・デー？　なによそれ？」
「ええと、地球の風習で、バレンタイン・デーに女の子が好きな男の子へチョコレートを送ると、その男女は晴れて恋人同士になれるという伝統があるらしいの。砂沙美ちゃんが楽しそうにチョコレートを作っているから、私もちょっと作ってみたくなって……」
　津名魅が見上げると、そこには魔法スクリーンに映し出された砂沙美の姿があった。もちろん一緒にチョコを作っている美紗緒や、見てるだけの季枝霞の姿も。
「ふーん、そんな風習があるの」
　裸魅亜は後ろをむくと、にんまりと笑った。
「津名魅、あたしは今ちょっと唐突に用事を思い出したから、これで帰るわね。あなたはここで、おいし〜いチョコレートでもつくってなさい」
「あらそうなの、裸魅亜。ご苦労様」
　あくまでにっこりと微笑んで裸魅亜を見送る津名魅様だ。
「じゃ〜ね〜」
　そう言って、唐突に用事を思い付いた裸魅亜様が魔法フスマを閉める。
　津名魅は、チョコレートづくりを続行した。
　しかし。
「えーと、溶かしたチョコは細かく分けて魔法カカオパウダーで包む？　あらいけない、熱すぎて溶けたまま全然固まりませんね。水で冷やすのを忘れていたようですわ」
　津名魅は、砂沙美と違って料理がへっぽこだった。

　裸魅亜の部屋ではいつものごとく、弟の留魅耶が姉に呼び出しをくらっていた。
「と言うわけだから留魅耶！　あんたこれから地球に行って、チョコづくりの邪魔をしてくるのよ！」
「えー、あんなに楽しそうにチョコを作っているところを妨害しに行くのー！？」
　留魅耶は不平たらたらだ。
「当然よぉ。好きな男のために一所懸命作ったチョコレートがだいなしになれば、さすがのあのお気楽娘も寝込むに違いないわ。ざまーみたらしよ」
　そういって大笑いする。
　しかし留魅耶は、あんまり気が進まなかった。
　裸魅亜が黒水晶に映し出した映像には、美紗緒が砂沙美と一緒に楽しそうに（と留魅耶には見えた）チョコを作っている映像が浮かんでいた。
　そんな笑顔をまた奪うなんてことは、僕には……。
　だから。
「姉さん、小学生相手に、まったく大人げないんじゃない？」
　なーんて言っちゃったりするもんだから。
　ドガッ！
　裸魅亜の長くて美しいおみ足が、留魅耶を壁に叩きつけた！
「おだまり！　あのガキんちょを倒さないと、あたしが女王になれないのよ！　留魅耶、ここまで関ってきていまさら知らん振りするなんてことするつもりじゃないでしょうね！？　あたしとあんたは、もはや一連卓上なんだからね！！！」
「そんなぁ、姉さんが強引に引きずり込んだんじゃないか……」
「いーから行ってこんかー！」
　あまりの剣幕に、留魅耶は追い出されるように鳥に変身して部屋を出ていった。
　後に残った裸魅亜は、この場で結果を待つだけだ。
　ぐふふふふふ。
　もうすぐよサミー、いいえ河合砂沙美！　あなたはこれから立ち直れないほどのショックを受けてサミーどころじゃなくなるんだからねえ。これぞ『砂沙美ったらチョコがだいなしにされて寝込んじゃうわよ』作戦。うーん、完っ璧だわ。自分の才能が恐いくらいによ！
　ジュライヘルムに、またも裸魅亜の高笑いが響き渡った。

　季枝霞の監督のもと（監督していただけだったが）、砂沙美と美紗緒はチョコレート菓子の制作に励んでいた。
「はあ、はあ。季枝霞ちゃん、トリュフとロシェ、出来たよ……」
「ん、味見するでちゅ」
　砂沙美たちが作っていたのは、トリュフとロシェという一口サイズのチョコレートだった。
　トリュフというのはチョコレートでできた入れ物の中に生クリームを入れ、チョコで覆ってトッピングをかけたものである。またロシェというのは、溶けたチョコレートにコーンフレークやアーモンド、ココナッツを混ぜあわせ、小さく分割して固めたものである。
　これはまだ５歳の愛くんに送るのなら、大きな板チョコを送るよりは一口サイズの方が食べやすいだろうと言う砂沙美の提案によるものだ。しかしはっきり言って、型取りするだけのチョコを作るよりは数段手間がかかる。
　そんな砂沙美の苦労を、しかし季枝霞はあっさり蹴飛ばしてくれるわけで。
「だめでちゅね、愛情が全然こもってまちぇん」
「あ……愛情？」
　砂沙美はあんぐりした。
　まだ１０歳のお子様に愛情とかいわれても。
「そんなあ、そんな抽象的な言葉で言われても、砂沙美分かんないよお」
「『抽象的』なんて言葉知ってるだけでも、充分に理知的だと思いまちゅがね」
　自分だって５歳のくせに。
　砂沙美と側で見ていた魎皇鬼は、心の中で突っ込まずにはいられなかった。
「ちかたありまちぇんねえ。これを見て下ちゃい」
　そういって季枝霞は、トリュフの一つを取り出して砂沙美に近づけた。
「ここのところのチョコが濁ってるでちゅよね。これはチョコを溶かした時に、水蒸気が水滴になってチョコに混入ちた証拠でちゅ。愛情のこもったチョコを作るのなら、そんなミスはちないものでちゅ」
　だから、なんで砂沙美ちゃんと美紗緒ちゃんが、季枝霞ちゃんの彼氏ために愛情を込めなきゃならないんだ。
　砂沙美と魎皇鬼は、世の中の不条理を深くかみしめていた。
「分かったらちゃっちゃと作りなおちゅでちゅ。今度こそ失敗ちないように作るでちゅよ」

　砂沙美がトリュフとロシェを（しぶしぶ）作りなおし始めた時。
　コンコン。
　美紗緒の側で、窓ガラスが音を立てた。
　美紗緒が振り向くと、窓の向こうには見慣れた鳥が枝に捕まっているのが見えた。
　いつもの鳥さんだ……。
　そう思うと美紗緒は、砂沙美たちの方を振り向いた。あいにく砂沙美たちは料理に夢中で、今の音が聞こえていなかったようだ。
　美紗緒は砂沙美のほうを見つめていた。悲しそうな目で。
　だがそれもほんの一瞬のことだ。
「砂沙美ちゃん、ちょっと出てってもいい？　すぐ戻ってくるから」
「え、いいけど？」
　砂沙美の了解を得ると美紗緒は、今度は先ほど出来あがったロシェやトリュフを手に持った。
「季枝霞ちゃん、このチョコレート、頂いてもいい？」
「どういうつもりか聞く気はありまちぇんが、そんな失敗作いくらでも持ってっていいでちゅよ」
　季枝霞の了解も得た美紗緒は、ロシェとトリュフをその手に持って河合家の外に出た。
　そして先程見た鳥を探す。
「鳥さん、鳥さん」
「キイイイイイ」
　美紗緒の呼び掛けに答えるかのように、鳥がやってきた。この鳥を飼っていることは、砂沙美も知らないはずだ。美紗緒は砂沙美が側にいなくて寂しい時によく現れるこの鳥に、辛いことや悲しいことをよく話すようになっていた。
　しかし美紗緒は知らないが、この鳥は地球での留魅耶の仮の姿である。
「チョコレートを作ったの。鳥さん、食べる？」
　そういっておずおずとロシェを差し出すと、鳥留魅耶はひょいとぱくついた。
　いきなりだったので思わず手を引っ込めそうになる。
「あ、こら鳥さん！」
　そういってしゃがんだ美紗緒は、今度はトリュフを取り出した。
　そのトリュフもおいしそうに食べる鳥に、美紗緒の顔はほころんだ。
　しかし、その笑顔はすぐに曇る。
　美紗緒は鳥留魅耶に話しかけた。
「あのね、鳥さん。砂沙美ちゃんがね、バレンタイン・デーのチョコレートを作るの。砂沙美ちゃん、結構張り切って作ってるの。相手が誰だか知らないけど、それって砂沙美ちゃんに、好きな人が出来たって事よね……」
　そこまで言って、美紗緒は肩を振るわせた。
「もし……、もし砂沙美ちゃんがその人と付き合うようになったら、あたし、どうなっちゃうのかな……。砂沙美ちゃん、あたしと遊ばなくなっちゃうのかな……。もしそうなったら、あたし……どうしたら……」
　留魅耶は、美紗緒の大きな瞳から流れ落ちるものに気がついた。
　心配なんだ、美紗緒。砂沙美が自分から離れていってしまうことに、ひどく脅えている。
　出来るなら留魅耶は、この場で変身を解きたかった。そして美紗緒に、僕がいるから心配しないでと慰めてあげたかった。
　しかしそんなことをすれば、自分が美紗緒をミサに変身させていたことまで知られてしまう。そしてサミー、いや親友である砂沙美と戦わせていたことまで喋らなくてはならなくなる。
　そんなことは留魅耶には出来なかった。嫌われることが分かりきっているからだ。
　だから留魅耶は、心の中で謝った。
　ごめんよ美紗緒。これから僕は、君を友達と戦わせるために、ミサに変身させなくてはならない。
　姉さんの命令だから逆らえないんだ。
　逆らったらどんな罰をくらうか、分かったものじゃないから。
　でも、でもね。
　これで許されるとは思ってないけど、ミサに変身させることは美紗緒にとっても救いになってるんじゃないかな。
　ミサになることで、美紗緒の悲しみに満ちた心を、少しの間だけでも忘れさせてあげることができるのだから。
　だから美紗緒。僕の魔力を受け止めて。
　そして留魅耶は、美紗緒の心の中にかけられているキーに魔力を放出した。
　心の悲しみがリバースし、美紗緒の人格が消えていく。
　あ……、まただ。また心が消えていく。あたし、どうしちゃったんだろ……。
　完全に意識を失った美紗緒の右手に、羽根を象った魔法のステッキが現れる。美紗緒の体はステッキを掲げて、魔法の呪文を唱え始めた。
　魔法少女ピクシィミサに変身する呪文を。
「ピクシィ・ミューテーション・マジカル・リコール！」

　砂沙美は美紗緒がいないので、一人でトリュフとロシェを作りなおす羽目に陥っていた。
　んもう美紗緒ちゃんたら、どこまで行ったんだろ？
　砂沙美は心の中でそう疑問形を発していたが、とりあえずはチョコレートを完成させて季枝霞から開放されることが先決だ。
「どう、季枝霞ちゃん。今度のチョコは？」
　ぜえ、ぜえ。
　気力も体力も使い果たしたような砂沙美の前で、季枝霞はチョコの試食を行っていた。
　はむ、はむ、はむ、はむ、はむ。
「うん、よろちい。ちょっと形がいびつなような気がしまちゅけど、これ以上の出来を砂沙美お姉たまに要求するのは酷というものでちょうし」
　そのセリフは作りなおす前に聞きたかったよう。
　砂沙美は、心の中で泣き言を言っていた。
「ちゃあ、それではちゃっちゃと箱に整理するでちゅ」
「ええ〜、それも砂沙美がやるのお」
「するでちゅ！」
　砂沙美が仕方なくトリュフとロシェを箱に詰めようとしたとき。
　プツンッ！
　唐突に部屋の中が真っ暗になった。
「え、停電？」
「まっくらでちゅ」
「うわっ！　何も見えないよう！」
　真っ暗で何も見えなくなった時には、じっとして動かないほうがいい。
　砂沙美と季枝霞は、その場でじっとするしかなかった。
「ふっ。この程度の消費電力で停電ちゅるとは、随分と貧乏ったらしい家でちゅね」
「……これ、多分停電じゃないよ」
「どういうことでちゅ！？」
「だって、まだ夕方だもん。停電しても前が見えなくなるほど真っ暗になるわけないよ」
　砂沙美は、部屋の窓から見える夕焼けを眺めた。夕焼けが見えるのに部屋の中は真っ暗という、通常の物理法則では考えられない出来事だ。
「そういえばそうでちゅね。するとこれは……」
　その時砂沙美は、背中がぞくぞくするほどの寒気を覚えた。不幸のニュータイプの妹としての予感が働いたのだ。
　そしてその感覚に襲われた時、彼女はすでにその運命を避けられない事を悟った。
「スポット・ラァーイト！」
　後ろの方で甲高い声が叫んだかと思うと、照明がある人物を照らしたからだ。
「ハロー、エビバデー。法も無く秩序も無く、血と鋼鉄と肉と骨と涙と笑いと砂沙美ちゅわんの困った顔を求める破壊の女神、その名も魔法少女ピクシィミサちゅわんよぉぉぉぉ！！」
「あああああ、やっぱしぃ」
「みゃ、みゃぁ〜」
　砂沙美は半泣きの顔で答えた。こういう事をするのはミサ以外にいないし、いて欲しくも無い。
「なあに砂沙美ちゅわん。バレンタインのハッピーデーを前に、せっかくミサちゃんがステキな演出でスタンダップしてきたというのに」
「よくスポットライトなんて無意味なことしまちゅねー」
「ノノンノン、ヒロインは最後に脚光を浴びて登場するものよん」
　季枝霞のツッコミを、ミサは当然といわんばかりに跳ね返した。
「そのために、わざわざ部屋を真っ暗にしたのでちゅか？」
「オフ・コース！　メイクドラマのためならどんな労をいとわない。それが真のヒロインというものよん！」
（それでいつも徒労に終わってるんだけどねえ）
　ミサの返答に、砂沙美が胸のうちで呆れ返った。
「ホワット、何！？　今とってもいやな気分に襲われたんだけど。砂沙美ちゅわん、なにかあたーしの悪口、シンキングしなかった？」
　ぷるぷるぷるぷるぷる！
　砂沙美は思いっ切り首を振った。
「そーおー、ミサの気のせいかしらん？」
　そういって、ミサは部屋の明るさを元に戻した。だが砂沙美は、ニュータイプ並に勘の鋭いミサに心底恐れを抱いた。
「あらぁ、そこにあるのは、チョコレートじゃないの？」
　ミサは、台所に散らかっている溶かしたチョコ、および先程完成したトリュフとロシェを指し示した。
「ミサ、まさか……」
「ふっふーん、もうすぐバレンタイン・デー。バレンタインといえばチョコ。ガールズからボーイズへ。愛の告白、ラヴァーズ達のメモリアル・デー。砂沙美ちゅあんは、誰にチョコをあげる気なのかしらん？」
「ちょれはあたちのチョコレートでちゅ」
　作ったのは砂沙美なんだけどね。
「愛と言えばラブ。男と女、愛しあう二人。二人の愛、すなわちラブラブ。そうよ、砂沙美ちゅわん。バレンタインの前に、ミサからステキなプレゼントしちゃう」
「い……いらないいらない！」
「みゃ〜、みゃみゃみゃ〜！」
　砂沙美と魎皇鬼は、激しく首を横に振る。なにをプレゼントされるかは分かりきっている。
「いらないといっても無理矢理あげちゃう！　コオォォォリイィィング・ミスティィィィック！！！」
　ミサがステッキから放った魔法の光線は二つに別れ、一方はまだボールに溶けているチョコに、もう一方は完成してトレイに乗せてあるトリュフとロシェに命中した。
「ああ、せっかくあたちが心を込めて作ったチョコを」
「作ったのは砂沙美だよぉ」
　どさくさに紛れて事実を歪曲する季枝霞に、砂沙美が訂正を入れる。まだちょっと余裕のある砂沙美だった。
　そんな二人に関係無く、ボールが、トレイが、ガタガタと震え出す！
　そして！
「チョコ──レート────、なのなの！！」
「トリュ──フ──────、ですわぁ！！」
「ロ────シェ─────、なのよぉ！！」
　３体のラブラブ・モンスターがそこに誕生した！
「あたちの作ったチョコレートがぁぁぁぁ！」
　だから作ったのは砂沙美なんだってば。

　その６ 清音　　− Intermission 3 −

「ありがとうございました」
　ＣＤーＶＩＳＩＯＮのカウンターで、天地が客に挨拶する。
　雷凰学園高等部の一年生にして魎呼と阿重霞の思い人である河合天地は、現在自宅のＣＤショップで店番をしていた。
　アルバイトの一人である清音は浪人生で、受験シーズン真っ只中のこの時期にまとめて休みを取ってしまっているのだ。
　仕方が無いさ、と天地は思っている。
　店長であるちひろママはカラオケに夢中で、とても店の経営に熱心であるとは言えない。そのため店の管理は、天地とその妹の砂沙美が事実上行っている。
　しかし、天地はなんといっても多忙な高校生活を送っており、そんなにしょっちゅう店の方に顔を出せるわけではない。砂沙美にいたってはまだ小学生だ。店の管理を任せきるわけにはいかない。
　そんなＣＤ−ＶＩＳＩＯＮの状況を救ってくれていたのが、去年の春からアルバイトについてくれた清音である。
　しっかりものの清音は、アルバイトをきちんと行ってくれた。天地も砂沙美もいない時に店番をつとめ、歌うしか能の無いちひろママや、もう一人のアルバイトである美星のフォローをも行ってくれていたのだ。
　清音にはどんなに感謝してもし過ぎることはないと、天地は思っている。
　だから清音が受験のために、当分アルバイトを休みたいと言ってきた時にも天地は快く了承した。
　心の中では泣いていたが。
　以前清音が学習塾の夏期講習へ出かけた時、清音を失ったＣＤ−ＶＩＳＩＯＮはさながら世紀末のような状況に襲われた。清音がいないだけでこれほど収拾のつかない事態に陥るとは思ってもいなかった。
　だから本音を言えば、清音にアルバイトを休んで欲しくは無かった。
　しかし清音にそんな事は言えない。なにしろ彼女は受験生なのだから。
　だから清音がいない間、天地はクラブも休んで早く帰ることにしていた。
　清音さんが心置きなく受験に精を出せるように。
「コオォォォリイィィング・ミスティィィィック！！！」
　突然裏の自宅の方から聞きなれた──聞きなれたくは無かったが──声が聞こえて来た。
　あれは、確かピクシィミサの！！
　天地は振り返って驚いた。ミサがまた何かしでかしたのか！？
「大変だ！！！」
「あのー、ストラヴィンスキーの『火の鳥』はありますでしょうか？」
「はいっ？」
　見ると、カウンターの向こうに客が列をなして並んでいる。
　珍しくお客だ。しかも盛況している！
「えーと、『火の鳥』ならこちらのクラッシック・コーナーに置いてあると思いますけど、ありませんでしたか？」
「ええ、あの……予約をしたいのですけど」
「はい、ちょっとお待ちください」
　家の中も心配だが、客の応対の方も大切だ。もし悪評が立ってしまったら、店は倒産、一家して路頭に迷ってしまう！
　家の中に心を残しながら、天地は客の応対に追われることになった。

　外はもうすぐバレンタイン・デーなのよねえ……。
　河合家から公園を挟んで向い側にある築４０年の木造アパート、コーポ・ディストラクションの２０３号室で、清音由梨は感慨にふけっていた。
　本当なら私も今頃、大学で出来たステキな彼氏のために、胸をときめかせながらチョコレートを作っているはずなんだわ。
　それが今、目の前にあるのは分厚い参考書と受験票。
　そう、私は今、何もかも忘れて、受験勉強の最後の仕上げに入らなくてはいけないのよ。
　バレンタインなんて、関係ないのよ。
　それなのに、それなのに、それなのに─────！！
「清音ぇ、ちょっと泡立て器どこにやったか知らなーい？」
　おんどりゃあ！　ちょっとは気をつかわんかーい！
　後ろの台所から聞こえて来た能天気な声に、清音は理性をかろうじて押さえるのがやっとだった。
　激昂して我を忘れれば、そのぶんせっかく記憶した英単語や年表、公式が一つ、また一つと抜け落ちていってしまう。
　だから清音は、できるだけ落ちついた声で台所にいる人物に声をかける。
「美星、私が今、何をやっているのか分かってる？」
「……受験勉強をやっている」
「そうよ、大学生様のあなたとは違ってね、チョコレートを作る余裕なんてないの。分かる！？」
　そう、清音の同居人である水谷美星は雷凰大学の一回生なのだ。大学生様なのだ！
　だからこうしてバレンタインなんかにうつつを抜かしている。
　そう思うだけで腹が立つ！　だから考えないようにしてるっつーにこいつわあああああ。
「分かってるわよぉ。もうすぐ本命の雷凰大学の受験でしょ？」
　そう、清音は去年、雷凰大学英文学科の受験に失敗して浪人中の身なのだ。今年こそは合格しないと故郷に顔向けが出来ない。
　だから。
「分かってるなら頼むから勉強の邪魔をしないで、お願い！」
「はーい」
　そういうと、美星はがさごそと泡立て器を探し始めた。
　それを後ろで感じながら、清音はもう何度目になるかわからない疑問を発する。
　ほんとにもう。なんでこんなアホが大学生で、私が浪人やってるの。
　誰か教えて、プリーズ！！
　そんな清音に、美星が声をかける。
「清音ぇ、さっき言い忘れてたけどねえ」
「何！？」
「私が作ってるのはチョコレートケーキで、チョコレートじゃないのよ」
　どっちでも同じじゃわい！！！

　そう、清音が美星に出会ったのはあの東京駅、新幹線のホームでだった。岡山から上京してきた清音は、そこで美星と運命的な出会いをしたのだ。
「まあ、あなたも雷凰大学を受験しに上京したの？　奇遇ねえ、私もそうなのよ」
　受験で緊張していた清音に、美星が声をかけてくれたのだ。
「あなたも雷凰大学に？」
「そうなの。明日からの受験に備えて上京して来たのよ、良かったら一緒に下見に行かない？」
　美星の誘いに清音はのった。のってしまったのだ。
「え、それじゃあホテルも同じなの！？　やったー、今晩あなたの部屋に行っていいかな？　一人で来てて寂しかったの」
　懇願するように頼んでくる美星の誘いを、清音は断れなかった。
　それにいまさら勉強するところはない、偏差値は余裕でクリアしてるし、あとは平常心で望むだけだ。緊張のしすぎで普段の実力が出せなくなること、これだけに気をつければ良かったはずだ。
　だから受験前の一晩を談笑して過ごすのも悪くなかった。それに目の前の女性は、なぜか人を和ませる魅力があった。
　この時点での清音は、美星の笑顔が悪魔の微笑みであることを知らなかった。
　ああ、あの時きっぱりと断っとけばよかったのにー！！！

「清音ぇ！　私の受験票が無いの。どうしよう！！！」
　翌朝、ホテルを出発前に美星が清音に泣き付いて来たのだ。
「なんですって！　家を出る時確認しなかったの！？」
「うん、確かにバッグの中に入れておいたはずなのに……」
　厳しい顔で問い詰める清音に、美星は今にも泣き出しそうな顔で答える。
　清音は、そんな美星を無下にすることはできなかった。昨晩いろいろ話し合って、情が移ってしまったからかもしれない。
「あーん、そんな顔しないでよ、美星。私も探してあげるから、ほら」
　しかし、そうしてホテルの部屋を２人で隅々まで探したが、受験票は出てこなかった。
「ぐすん、どうしよう、清音」
「だ、大丈夫よ、美星。大学の受験事務所にいって、紛失届けをだせば受験票無しでも受験できるから」
「うん……うん、ぐしゅ、ぐしゅ」
「ほら、鼻を噛んで、コート着て、受験に行きましょ」
　そういって清音は、美星にコートを着せようと手に持って。
　コートの内ポケットに、何か入っているのに気付いた。
「あら？　美星、これ、あなたの受験票じゃないの！？」
「え？　うわぁー、ホントだー。ありがとう、清音。だーい好き」
　泣いた美星がもう笑って、清音に抱きついて来た。
「よ、よしなさい、美星。さっさと行かないと、受験に遅れるじゃないの！」
「うん」
　こうして、美星と清音は時間もぎりぎりになってホテルを出たのだった。

「ママー、ママー」
　電車のなかで子供に泣きつかれて、清音は困っていた。
　いや、子供が泣き付いているのは清音じゃなく、美星だったのだが。しかしだからこそタチが悪い。
「清音ぇ、この子どうしましょう」
「ほっときなさいよ！　私たちは今日、受験をするのよ！　ただでさえ時間が無いのよ、あなたのせいで！」
「でも……」
「私たちが関らなくても、誰かが何とかしてくれるわよ。分かってるの！？　私たちは受験生なのよ！」
「清音ぇ！」
「な、なによ」
　突然訴えるような目つきになった美星に、清音はたじろいだ。
「ホントにそう思ってるの？　こんなちっちゃな子供が迷子になって困ってるのよ。そんな子供を清音は見捨てていけっていうの！？」
　涙をうるうる流しながら訴える美星に、清音も折れるしかなかった。
「あー、もう、分かったわよ！　次の駅で降りて、駅の事務所に迷子として届けでましょ！」
「うわーい、ありがとう、清音」

　あーんもう、その後のことは思い出したくない！
　清音は自分の中で、もっとも忌まわしい記憶を思い返しているのに気付いた。
　駅の事務所に迷子を届け出て、受験だからということで早めに駅員から解放してもらった美星と清音が雷凰大学についたのは、最初の試験を開始後から３０分近くたってからだったのだ。
　雷凰大学では受験の遅刻は、各科目ごとに試験開始後３０分まで認められる。二人はぎりぎりで間に合ったのだ。
　ところが清音は、最初の科目の試験を半分以上白紙で残してしまった。時間が足りなかったのに加えて、朝っぱらから事件の連続で気が動転していたためだ。
　そしてそれはあとの試験にまで影響を及ぼし、清音の試験の出来は最悪だった。
　後で見直したら、案の定ボロボロだった。
　一方美星は、朝の事件なんて関係ないよーってな感じで、ほとんど完璧に近い解答を全科目にわたって提出したのだ。
　一つのことに集中すると、他の全てを忘れて最大限の性能を発揮できる美星の頭脳が、受験という修羅場で最高の環境を得ることが出来たからだ。
　だから美星はその春から大学生になり、清音は悲しくも浪人生活を送ることになった。
　だけど。
　私だって本来なら雷凰大学に受かるほどの偏差値は持ち合わせているのよ！
　私だって来年からは雷凰大学の大学生なのよ！
　そのためにも、今日と言う日を耐え抜かなくてはならないのよ。
　受験をパスしなければいけないのよ！
　ビシャ。
　……………。
　そのとき頭に生クリームが引っ付いて来たのに気付き、清音は思考停止してしまった。
「ごめーん、清音。生クリームがとんじゃった」
　見ると、生クリームをボールでかき混ぜていた美星が謝っているところだ。
　プチン。
　清音の中で、何かがぶち切れるのを感じた。
「おのれはぁぁぁ！　どこまで邪魔すれば気が済むんじゃぁぁぁぁ！」
「ぐ、ぐるじいの……」
　清音のコマンド・サンボが炸裂した。

　その７ サミー　− Fighting −

　ミサの呼び掛けに答えて、台所に３体のラブラブモンスターが現れた！
　一体はチョコレートを固めて作った、ちょっぴりスレンダーで美人のお姉さん的モンスターだった。
　次の一体は大きなトリュフに顔が付き、手足の生えたモンスターだ。
　最後の一体は、大きなロシェの上に女性の上半身がついて、ロシェで作ったような衣装を来たようなモンスターだ！
　この３体のモンスターは何かを髣髴とさせる！　忘れたいけど忘れられないし忘れられるような奴等じゃなかったけど忘れたかったあのモンスター達を！！
「どーおー砂沙美ちゅわん！　彼女達はシスターズなの！　まずは長女のチョコレート女、エンジェルチョコスィートハート！！！」
「チョコレートなのなのぉ！」
　チョコレート女が両手をあげる。そのモデル体形にすごくよく似合うポーズだ。
「次女のトリュフ女、エンジェルチョコミルキーリップ！！！」
「トリュフですわぁ！」
　トリュフ女が御辞儀する。胴体全部が顔のため頭が重そうだ。
「そして三女のロシェ女、エンジェルチョコスナックテミスよおぉぉぉ！！！」
「ロシェなのよぉ！」
　ロシェ女が下半身のロシェを引きずりながら挨拶する。
「これぞ！　３人合わせてチョコレート女シスターズ！！！」
「ケーキ女シスターズの二番煎じじゃないよお！？」
　砂沙美がツッコミをいれる。実はその通りだ、スマン。
「ノノンノン。ただの二番煎じだと思ったら大間違いよぉ！　ケーキ女シスターズの敗因は個別撃破されたこと。３人揃ってオン・ステージさせなかったのが致命的ね。
　だがしかぁーし！　チョコレート女シスターズはビギンから３人登場よ。姉妹パワーも最初からマックスまで発揮されるってわけ。昔っからよっくトーキング！　 『一本のアローはへなちょこでも、光陰は３本のアローの如し』ってね」
　おおう！　意味は分からないけどなんかすごそうだ。
「『矢』しかあってまちぇんねえ」
　季枝霞が冷静にツッコミをいれる。
「さぁ、チョコレート女シスターズ。砂沙美ちゅわんの家のキッチンを占拠しちゃいなさーい！！！」
　しかし、チョコレート女シスターズは動こうとしない。
「ホワイ！　どうしたの、チョコレート女シスターズ、なぜ戦わないの！？」
　そんなミサの命令を無視しちゃって。
「私たち、愛のキューピッドなのにぃ、いい男が一人もいないのなのなの」
「あ、でもかわいい女の子がいますですわぁ、お姉様」
「えー、ミルキーリップお姉様はレズの気があったのなのぉ〜」
　ぺちゃくちゃおしゃべりに興じていた。
　全然ものすごくないぞ、チョコレート女シスターズ！
「『女三人寄れば姦しい』とも言いまちゅね」
「シャーラップ！　『三人寄れば文殊の知恵』とも言うじゃないのお！」
　この場合、何の関係があると言うのだ、ミサ。
　その様子を見て魎皇鬼が声をかける。
「砂沙美ちゃん！　なんかよく分からないけど、今のうちに変身だ！」
「ウン！」
　魎皇鬼と一緒に廊下に出て人の目を逃れた砂沙美は、そこで魔法のバトンを受け取り、変身の呪文を唱える。
「プリティ・ミューテーション・マジカル・リコール！」

　一方、砂沙美が抜け出した台所では。
「ミサ、もうすぐプリティ・サミーちゃまが来るでちゅ。観念してお縄についた方がお利口というものでちゅよ」
　季枝霞がミサの説得に当たっていた。
「ふっふーん、全然問題ナッシーング！！　こんなこと始めっからシナリオの範疇よーん」
　本当かよ、おい？
「それより季枝霞ちゅわん、バレンタインに愛ボーイにチョコを送ってハートをゲットするんじゃなくて！？」
「……何が言いたいのでちゅか」
「つまり、チョコレート女シスターズを構成しているチョコをボーイに食べさせれば、一生そのボーイの身も心もホールド。ユア・アイズ・オンリーってなわけ」
「……………」
「どう、ベリー・ベリー・グーッドな話だとは思わない！？」
　ミサの巧みな話術に季枝霞は押し黙ってしまった。
　そこへ。
「待ちなさい！」
　逆光シルエットで、愛と正義の魔法少女が現れる。
「バレンタインもサミーにお任せ！　魔法少女プリティサミー、愛のコックで参上です！」
「ふっふーん、現れたわね、サミー！」
　あくまでも不敵なミサ様だ。
　しかしサミーは、チョコレート女シスターズに向かってバトンを振るう。せっかく作ったチョコをだいなしにされて、サミーのバトンの怒りゲージはマンタンだ！
「行くわよ、いきなりプリティ・コケティーッシュ・……！」
「待つでちゅ！」
「あららら」
　必殺技を途中で止められて、サミーは思わずこけそうになった。止めたのは季枝霞ちゃまだ。
「季枝霞ちゃん、どういうつもり」
「状況が思いっきり変わったでちゅ！　今回だけはモンスターを倒させるわけにはいかないでちゅの」
「しかし、そのモンスターを倒さないと……」
「私に逆らったらどうなるか、分かってるはずでちゅよね。高田財閥の力をなめない方がよいでちゅよ」
　季枝霞に睨まれて、サミーは思わずその光景を想像した。サミーの正体をばらされて、世間の笑い者になる砂沙美の姿が。
　プルプルプルプルプル！
「そんなのいやー！」
「にょほほほほ！　そーいうわけなのサミー。チョコレート女シスターズ、やっちゃっておしまい！」
「はーいなのなのぉ（ですわぁ）（なのぉ〜）」
　ミサの命令に、チョコレート女シスターズは攻撃を開始する！
　季枝霞が敵に回ると言うかつてない状況に、サミーは大ピンチだ！！！
　どうする、サミー！？

　河合家の台所はさながら戦場だった。
　チョコレート女の体から分離したチョコが、トリュフ女が発射するトリュフが、ロシェ女のロシェが、サミーを同時に襲う！
　反撃を封じられたサミーは、避けるしか方法が無い！
「どうしよう、リョーちゃん」
　サミーは、魎皇鬼に泣き言を言う。
「戦うんだ、サミー」
「そんなこといったって、季枝霞ちゃんに逆らったら後が恐いよお〜」
「自分の恥と世界の平和とどっちが大切なんだ、サミー！？」
「どっちも大切だよお！」
　そりゃそうだ。まだ１０才の砂沙美にとって、これからの人生を一生日陰者で過ごしていくなんて、世界が崩壊するぐらいに耐えられない。
　そこへ。
「うわ、なんだこれは！？」
　家の様子を怪訝に思った天地が、ようやくお客をさばき終わってやって来たのだ。
　天地が台所にやって来た時には、チョコレート女シスターズがサミーを追い詰めていたところだった。向かいではミサと季枝霞が笑っている。
　天地はこの状況を、即座にこう理解した。なんかよく分からないけど、サミーがピンチだ！
「さぁサミー、今日こそフィニッシュよ！」
　ミサのかけ声に合わせたチョコレート女シスターズの三位一体攻撃が、サミーを襲う！
　サミーは身構える！　……しかし、いつまでたっても攻撃がこない。
　おそるおそる目を開けると、目の前には天地がいた。
　とっさに天地がサミーの盾になって、チョコレート女シスターズの攻撃の身代わりになってくれたのだ。
「天地兄……天地さん！？」
「よ、よかった。サミー……」
　天地が弱々しそうにうなづいた。その痛々しそうな様子を見て、サミーは自分を責める。
　サミーのせいだ。サミーのせいで天地兄ちゃんは。
　きっとチョコレート女シスターズを睨むと、サミーはバトンを振りかぶる。
「ちょっとサミーちゃま、チョコレート女シスターズを倒すとどうなるかわかってるのでちゅか？」
「許せないもん、もうどうなってもかまわないから許せないもん」
　サミーは怒っていた。自分が恥をしのぐ勇気が無かったばっかりに、天地兄ちゃんが傷ついたことに。サミーは許せなかった。天地兄ちゃんを傷つけたラブラブ・モンスターに！
　サミーのバトンは、天地がくれた思いでギンギンだ。
「プリティー・コケティーッシュ……」
「こ、こうなったらチョコレート女シスターズ、奥の手よ！」
　止められないと見たミサが、とっさに新たな指示を下す。
「ボンバァァァァァ！！！」
　サミーのコケティッシュ・ボンバーが炸裂した。

　もうもうと舞い上がった硝煙が収まったとき、サミーはそこに、信じられないものを見た。
　頭が巨大なトリュフで出来ていて、下半身は巨大なロシェで体を支えている、巨大化して筋肉ムキムキになったチョコレート女の姿が！　猫背にかがんでも頭が天井につかえているほどのその巨体で、サミーを威圧している！
「こ……これはいったい！？」
「にょーほほほほほ、驚いているようね、サミー！　これぞチョコレート女シスターズのファイナル形態！　トリュフ女とロシェ女がチョコレート女にドッキングした、その名も合体チョコレート女、ゲッター・チョコよ〜ん！　サミーのちんけなコケティッシュ・ボンバーなんて、彼女の前には無駄の無駄のむだちゃんよぉ！」
「そうでちゅね、ミサちゃま。おほほほほ」
　高笑いするミサと季枝霞の前で、サミーは愕然としていた。
　そんな、精一杯の力を込めて撃ったコケティッシュ・ボンバーが……。
　しかし敵は待っててくれない。
「さあ合体チョコレート女、サミーを今度こそコテンパンにのしちゃいなさい！」
「チョコォ〜レイトォォォォォ！」
　状況は再び逆転した。
　合体チョコレート女の左腕が、ドリルに変形してサミーを襲う！
「左腕がドリル！！　するとこいつはゲッター２！？」
「しかし合体パターンはどちらかというと３だね」
　天地の叫びに魎皇鬼が相槌をうつ。こいつらどうしてそんなネタを知っているんだ！？
　合体チョコレート女はゆっくりとサミーを追い詰める！　頭がつかえてすばやく動けないのだ。
　しかし有効な攻撃手段がなければ、反撃もできない！　打つ手が無くなったサミーはただ避けるだけしか出来ない！
「リョーちゃん、どうしたらいいの！？」
「サミー、必殺技を放つんだ！」
　魎皇鬼が檄を飛ばす。
「でもコケティッシュ・ボンバーだって効かなかったんだよ。勝てないよ……」
「あきらめるなサミー、まだキミのコケティッシュ・ボンバーは最大パワーを発していない。浄化する相手に込められた思いを見極めるんだ！」
「浄化する相手に込められた思い……」
　サミーは立ち止まると、合体チョコレート女の方を向いて目を閉じた！
「ふはははは、サミー、もうあきらめちゃったの！　いい覚悟ね」
　それを見てミサはあざ笑った。しかし事実は違う。サミーは精神を集中して、チョコレート女に込められた思いを見極めようとしているのだ。
　そして。
「見えた！　チョコレートに込められた思いが！！」

　季枝霞は、自分の意識が不思議な空間の中にいることを認識した。
　目の前にサミーがいる。
（どうちてサミーがここにいるんでちゅか。サミー、チョコレート女を倒したら許ちゃないでちゅよ）
　季枝霞の思いがサミーに伝わる。
（季枝霞ちゃん、魔法で男の子を振り向かせてもそんなのには意味が無いよ。そんなにまでして愛くんを振り向かせたかったの？）
　サミーも季枝霞に思いを伝える。
（愛くんの身も心もすべてあたちのものでちゅ。愛くんはあたちのチョコに夢中にならなくてはいけないのでちゅ）
（どうしてそう思うの、季枝霞ちゃん。愛くんは季枝霞ちゃんのチョコなら、何だって喜んで食べてくれるはずだよ）
（それでも、だめなのでちゅ！　だってあたちは、愛くんに本当においちいチョコを食べてもらいたくて……）
　だから手作りのチョコを作ってあげたいと思って、でも季枝霞は料理ができないから……。
（季枝霞ちゃん、今度一緒に、料理を作ろう！）
（……ホントでちゅか！？）
（そして今度こそ、愛くんに手作りのおいしい料理を食べてもらおう、ね！）
（ウン……ごめんなちゃい、プリティサミーちゃま。チョコレート女を倒しちゃって下ちゃい……）
　思いは伝わった。
　そしてサミーはバトンに、先程までとは比べ物にならないほどの思いが込められているのを感じていた。
　季枝霞の思いが伝わった結果だ。
　こんどこそいける。真なるコケティッシュ・ボンバーを！
　カウントインジゲーターが真っ黒に染まる直前ぐらいまで引き付けると、サミーはバトンを構える。すると、サミーの衣装は、真なる魔法少女の衣装──神衣へと変わった。真なる魔法少女、ハイパーサミーの姿に。
　サミーはバトンを、合体チョコレート女に向けて降り下ろす。
「ハイパァァァァー・プリティィィ・コケティィィッッッシュ……」
「ホワット、ちょっとサミー、ずっこいわよ。何でも『ハイパー』をつけて、勝手にパワーアップしちゃっていいって思ってるの？　アンビリーバボ────！？」
「ボンバァァァァァアア！！！」
　ミサの抗議の声を無視して、サミーは必殺技を放つ。
　サミーのハイパー・プリティ・コケティッシュ・ボンバーは、そのまま合体チョコレート女に命中した！！！！！
「チョコォ〜レイトォォォンンン……」
　断末魔の叫び声をあげた合体チョコレート女は、そのまま３体のラブラブモンスターに分離する。
「チョコの食べ過ぎは体に良くないなのなの……」
「チョコは一日一枚までにしとくのですわぁ……」
「チョコを食べたら歯を磨きましょうなのぉ……」
　チョコレート女シスターズが、それぞれ辞世の句を述べる。
　そして、それぞれが触媒であったチョコレート、トリュフ、ロシェの姿に戻る。
　その刹那、チョコレート女シスターズたちの魂は夜空に漂うラブラブモンスター墓場に運ばれていくのだった。

　世界の平和と砂沙美の秘密を取り敢えず守ったサミーは、再び廊下にでて変身を解いた。そして再び台所に戻ろうとする砂沙美は、廊下の向こうからやってくる人影に気付いた。
「美紗緒……ちゃん？」
「……砂沙美ちゃん？」
　それはチョコ制作の最中に抜け出していた美紗緒だった。
「美紗緒ちゃん、どこ行ってたの。随分長いこと出てったみたいだけど」
「ううん、ちょっと……。何かあったの、砂沙美ちゃん？」
「いや……、美紗緒ちゃんがいなくて良かったかもしれない」
「……？」
　あいまいにごまかしてあはははと笑う砂沙美に、美紗緒は疑問符を発しているようだ。
　二人が台所に戻ると、そこは惨澹たるありさまで。
「あれ、砂沙美。どこ行ってたんだ。美紗緒ちゃんまで」
　チョコレートが部屋中に飛び散った台所を片付けながら、天地が声をかける。
「ちょっとね、サミーに助けられてひとまず逃げてたの」
「ふーん、それは良かったけど、ちょっと部屋を片付けるの手伝ってくれないか」
　そういう天地は脇腹が苦しそうにしていて。
　砂沙美は天地がサミーをかばって、攻撃をくらっていたことを思い出した。
「大丈夫、天地兄ちゃん！　どこか怪我してない？」
「大丈夫だよ、砂沙美」
　取り敢えず天地を気遣いながらも、砂沙美と美紗緒は後片付けを始めようとするが、季枝霞がそこに割り込んで来る。
「ちょっと砂沙美お姉たま。あたちのチョコはどうなったんでちゅか？」
　見るとトリュフもロシェも、ぐちゃぐちゃのパーだ。まあ当然だろーなあ。
「えー、いまそれどころじゃ無いんだから」
「待てないでちゅ。さっさと作りなおすでちゅよ」
「トホホホホ……」
　砂沙美は泣いた。さっき心が通じ合ったのはなんだったのよ……。
　そして砂沙美と美紗緒は、三度、季枝霞のチョコレートを作る羽目になった。

　一方居間では、そんなディンジャラスな戦闘があったことも知らずに、ちひろママがカラオケに熱中しているのだった。

　そしてジュライヘルムでは……。
「どちくしょー！」
　魔法スクリーンで地球の様子を眺めていた裸魅亜様は、今回もまたいつものごとく自分の完璧な作戦が失敗したことを理解して、猛烈に怒りゲージをためていった。
　あーんもうくやしい、くやしいったらありゃしない。
　この怒りはどこにぶつけたらいいの──────！！！
　裸魅亜はやり場のない怒りで一時的にパワーアップした攻撃力を、とりあえず部屋に置いてある調度類とまだ来ぬ弟にぶつけることにした。
　一方、津名魅様はというと。
「さてと、最後は魔法冷蔵庫にチョコレートを入れて固めるだけね」
　今さっき地球で魔法少女どうしの戦闘が行われていたことも知らずに、やっとのことで魔法チョコレートを完成させようとしていた。
　と、そのとき。
　ピンポーン、ピンポーン。
　サミー判定機のゲージが上がっていく音が聞こえてきた。
「まぁ、サミーったら、また一つ良いことをしてくれたのですね。さすがは私の見初めた魔法少女ですわ」
　津名魅の笑顔はまさに女神のそれであった、という。

　エピローグ

　待っていた日がやって来た。
　２月１４日、バレンタイン・デーである。
　今日は砂沙美のたっての希望で、いつもの時間よりちょっと早めに朝食をとることになった。今日だけは、遅刻をしたくなかったから。
「ごちそうさまーっ！」
「はい、ごちそうさま」
　朝食を食べお終わると、砂沙美は台所の後片付けを、天地はそのまま店の品物の管理をおこなう。ちなみにちひろママは、居間でカラオケの準備なんかを始めちゃったりしているが。
「ルンルルー♪ルル♪ルルー♪」
　楽しそうに後片付けを終えると、砂沙美は冷蔵庫からチョコレートを取り出し、箱につめる。そして別に用意したきれいな包装をかけて、リボンを結ぶ。
「砂沙美、そうそろそろ時間だぞ！」
　天地が声をかける。時計を見ると、もう８時をさしている。
「あ、いっけない！」
　砂沙美は箱をあわててカバンに入れ、そのままカバンを背負う。
「行ってきまーす！」
「じゃ、行ってくるよー」
　砂沙美と天地は、家を出てそのまま学校に向かった。
　学校へ向かう途中、天地が声をかける。
「砂沙美、さっきはなにを用意してたんだ？」
「え、その……あの……、ないしょ！」
　ほんのり頬を赤く染める砂沙美に、天地はそれ以上尋ねることはしなかった。ただ兄として、やさしく見つめているだけで。
　そして二人は、美紗緒との待ち合わせの交差点に向かう。

「清音ぇー。あっさですよー！！」
　その日、コーポ・ディストラクションの２０３号室では、めずらしく美星が早起きして清音を起していた。
「美星……、どうしたのよ、今日は」
　まだ起き抜けで頭がはっきりしない清音であるが、普段は清音が寝坊すけの美星を叩き起しているだけに、戸惑っているようだ。
「やーねぇー、今日は本命の雷凰大学の受験日でしょうがー。だから朝食の準備をしておいたの」
　そういう美星が指し示す先には、ちゃぶ台の上に簡素ながらも朝食の準備が整えられている。受験生の体調をよく考えた食事と言えなくもないだろう。
「美星、これをあんたが……？」
「うん」
　清音はなれない状況に戸惑っていた。
「んーと、それとねえ清音。確か今日の雷凰大学の受験で最後でしょ？　慰労会のパーティをやるから、早めに帰って来てね」
「慰労パーティ……」
「そう、私の作ったチョコレートケーキで、二人だけのささやかなパーティをおこなうの！」
　元気いっぱいに美星がうなづく。
　しかし清音は慌てふためいていて。
「美星！　そのケーキ、バレンタインのプレゼントじゃなかったの！？　いいの、そんなことに使って！？」
　そんな清音の疑問に、美星はいきなり泣きそうな顔になって。
「だって、清音。受験でバレンタインどころじゃなくて……。そんな清音のことを思うと、あたしだけバレンタインで浮かれるなんてできなくて……。
　それに清音には、今日の受験には絶対に受かって欲しいの……。だって、清音にはしょっちゅうお世話になって……、それなのにいっつも迷惑かけてばかりで……。でもあたし、こんなことぐらいしかできないから……、ぐすんぐすん」
　話しているうちに涙声になる美星。
　そんな美星を、清音はおもわず抱きしめそうになって。
「泣かないでよ、美星。私、頑張るから。絶対に合格するから。ほら、鼻噛みなさいよ」
「ウン、清音、頑張ってね。ぐすんぐすん……チ──ン」
　ありがとう、美星。私、頑張るから。
　清音は心の中でお礼を言う。
　今日の試験はきっと最高の出来になる。そんな予感がしたから。

　雷凰学園の校門前にやって来た天地は、そこでまたいつものごとく魎呼と阿重霞に襲われていた。
　しかし今日ちがうのは、二人とも大きなチョコレートの包みを持って来ていたことで。
「天地ぃー。あたし、大人の愛情タップリのブランデー入りチョコレート、作って来たのぉ。ワイン入りチョコもあるのよ。一緒に食べなーい？」
　魎呼が天地の左腕にしな垂れかかってくる。
「なにを言ってるのです魎呼さん！　そんな下賎なものを天地様に食べさせないでください！　天地様はあたしが取り寄せた世界で一番おいしいチョコレートをいただくことに決まっているのです！」
　阿重霞が天地の右腕を引っ張って宣言する。そんなこと一体誰が決めた。
「なに言ってやがるんだ！　そんな金にあかせて取り寄せたようなチョコなんかよりも、手作りチョコの方が１００倍おいしいに決まってるぜ。なぁ、天地」
「あ、ああ」
　天地があいまいにうなずく。魎呼の特大の包みからはなぜか水滴がポタポタ落ちてきている。
「なーにを言ってるのですか魎呼さん。そんなナマゴミ同然のチョコなんかよりも、私のこの舌で厳選したチョコの方が一万倍おいしいに決まってます。ねえ、天地様」
「あ、ああ」
　天地があいまいにうなずく。阿重霞は結局チョコを絞り切れなくて、これだと思ったものを全部持って来させていた。その数、ざっと１０箱はありそうだ。
「てめー、天地に鼻血を吹き出させる気か！？」
「あなたこそ、天地様を食中毒にさせるおつもりですか！？」
「このぉぉ！」
「ぐぬぬ……」
　魎呼と阿重霞は睨みあった。もう少しで取っ組み合いのケンカになりそうだ。
「お……おい、二人ともやめろよ」
　天地は止めようとするが、そこへ砂沙美が声をかける。
「天地兄ちゃん、はやく校門に入らないと遅刻するよ」
「だけどこの二人を……」
「あの二人に付き合ってたらこっちまで遅刻しちゃうよ。ほっといたらそのうちやめると思うからさ」
「う……うん。そうかもな」
　砂沙美は、天地を強引に校門までつれていく。美紗緒はすでに校門で二人が来るのを待っていた。
　魎呼と阿重霞もそれに気付いてケンカを中断する。
「あ〜ん天地ぃ、待って〜」
「天地様ぁ、お待ちくださいまし〜」
　二人とも天地を追って校門をくぐる。
　この日の遅刻者は０だったという。

　雷凰学園幼等部ではこの日、内気そうだが洗練された美貌を持つ男の子と、同じく利発そうな雰囲気をかもしだしていた女の子のほのぼのとしたカップルが見うけられた。
　女の子の方は高田季枝霞であり、男の子の方は季枝霞のステキな彼氏である九十九愛くんだ。
　今日、季枝霞は愛くんに会うためにここまでやって来ていた。
「こんにちは、ボクの大好きな季枝霞ちゃん。今日はとってもチャーミングだね」
　愛くんが季枝霞に挨拶をする。ちゃんと手を大きく前にひろげて。
「こんにちわ、愛くん。今日もとってもかわいいでちゅよ」
　季枝霞も愛くんの頬をなでなでする。愛くんはとってもうれしそうだ。
　しかし季枝霞の方は内心物足りなく感じていた。最近愛くんが挨拶を間違えなくなってきているのだ。間違えてくれないと、ペナルティを宣告できない。
「愛くん、今日は渡したいものがあるでちゅ。うけとってくれまちゅか」
「何、季枝霞ちゃん」
「手作りのチョコレートでちゅ。バレンタインのプレゼントでちゅよ」
　そういって、袋に詰めたバレンタイン・チョコを渡す。砂沙美に作らせたトリュフとロシェだ。
「うわぁ、ありがとう。これ、季枝霞ちゃんが？」
「おほほほほ、愛くんのためなら当然でちゅ」
　季枝霞がぬけぬけと答える。確かに『季枝霞が』作らせたチョコには違いない。
　しかし、季枝霞はとたんに険しい表情をした。獲物を見つけた鷹の目つきだ。
「ところで愛くん、さっきあたちを疑いまちたね」
「えっ、どういうこと」
「『これ、季枝霞ちゃんが？』と言いまちたね。つまりこの手作りチョコがあたちのではないと疑ったということでちゅ」
　確かにチョコの所有権は季枝霞にある。季枝霞にあるのだが……。
　しかし愛くんはそんなことは知らない。だから素直に謝った。
「あ……ごめんなさい」
「ペナルティでちゅね」
　にっこり笑って季枝霞が宣告する。さっきとは打って変わって嬉しそうな表情だ。
「えー、ここで！？」
「そうでちゅよ、愛くんの犯した罪を償うにはそれしかないのでちゅ」
　きっぱりと宣告する。
　愛くんは真っ赤になってもじもじしながら、それでも勇気を出して季枝霞に近づいて……。
　その頬に唇を吸い付ける。
　ぶちゅうんんんん。
　長い長いキスの後、スポンと愛くんは唇を話した。
　そして二人はじっと見つめあって笑い出す。久しぶりのペナルティだったから。

　砂沙美と美紗緒が４年３組の教室に入って来た時、そこはやはりお祭りムードが漂っていた。
　向こうで男子が悔しがっていたりするかと思えば、あちらでは女子が泣いていたりする。嬉しがっている男子やからかわれて恥ずかしがっている女子もいる。
　みんなバレンタイン・デーというイベントを楽しんでいる結果だ。
「おっはよ───！」
「お、おはよう……」
　二人は、いつも通りに挨拶をした。
「やあ、河合さんに天野さん、おはよう」
　小山田くんが返事を返す。その両手にはやはりというか相変わらずというか、チョコレートをいっぱい抱えていた。
「小山田くん、そのチョコ……」
「うん、今年もきれいなお姉さん達がいろいろくれたんだ。うれしーなー」
「はあ……」
　砂沙美も美紗緒もあきれていた。
　そこへ、真嶋が声をかける。
「よ、河合、おはよう。……天野も、おはよう……な」
「おはよう、真嶋くん」
「……おはよう」
　砂沙美は元気いっぱいに、美紗緒はうつむきながら挨拶を返す。
「真嶋くんは、チョコレートをもらったの？」
　砂沙美が尋ねてくる。真嶋はこれでも同学年の女子に人気が高い。バレンタインのムードにあてられた今の雷凰学園ならチョコをもらっても不思議ではない。
「いいや、今年はある子から以外のチョコはもらわないことにしてるんだ」
　そういって、真嶋はチラリと美紗緒を見る。
　それを見た砂沙美は内心嬉しくなった。
　合格だね、真嶋くん。美紗緒ちゃんからチョコをもらえるといいね。
　先日一緒に作った時のチョコレートを、砂沙美は美紗緒に半分分けておいたのだ。
　しかし。
　真嶋がチョコレートを貰えたかどうかは、敢えて言明しないでおこう。

　魔法の国、ジュライヘルムでは。
「裸魅亜、裸魅亜ぁ、いる〜？」
「何よ、津名魅、うるさいわね」
　あの決闘の日からずっと部屋に閉じこもっていた裸魅亜様のところに、津名魅がやって来た。
「いえね、わたし、この間チョコレートをたくさん作ったでしょ。だから、裸魅亜と一緒に食べようと思って」
　そういって、手に持った魔法チョコレートのお菓子を見せる。
「それ、男にプレゼントするんじゃなかったの！？」
　意外な津名魅の行動に裸魅亜が驚いて尋ねた。バレンタインデーのために作っていたチョコなんじゃなくて！？
「まあ、あの時も言ったでしょ。作りたくなったから作ったって。それに今は審議の最中で、男性と付き合うようなときじゃないと思うし」
「へーへー」
　さすがにあてられて、裸魅亜は閉口した。
「でも、なんであたしと？」
「だって裸魅亜、いつもサミーの活躍を見て一緒に喜んでくれるじゃない。だからこれは、そのほんのお礼のつもり」
「……」
　裸魅亜は押し黙ってしまった。彼女がサミーの活躍を見るのはサミーを妨害するためであり、決して喜んでいるわけではない。
「……いらないの？」
「いいえ、食べるわ！　食べてあげる！」
　そういって、裸魅亜は津名魅の作った魔法チョコレートに手を付けた。
　一応親友を装っている身としては、素直に好意を受け取っているふりはしておいた方がいい。
　しかしそのお心のうちは。
　まったくもう、だから嫌いなのよ、津名魅の奴が！　どうしてこんなお人好しのニブチンが女王候補なワケ！？　あたしにお礼なんて、しなくてもいいしする必要なんてないっていうのにぃ！
　自分でも訳が分からないが無性に腹が立っていた。
　チョコレートはおいしかった。
　津名魅も嬉しそうに、ニコニコしていた。
　それだけに、腹立たしさもひとしおだった。

　そして、我らが河合砂沙美ちゃんは……。

　その日の授業も終わり放課後になったとき。
「美紗緒ちゃん、今日はこれからちょっと用事があるの。悪いけど玄関でちょっと待っててくれない？」
「え……、いいけど」
　美紗緒は、砂沙美の言葉に戸惑った。二人はいつも途中まで一緒に帰ることを日課にしていたから。
　だから。
　砂沙美ちゃん、もしかして、やっぱり……。
　美紗緒は、砂沙美の去っていった後をしばらく眺めていた。
　一方、そんな美紗緒の気持ちも知らないで砂沙美は、高等部の校舎裏に駆けつけていった。
　そこは既にある人物が待っているはずだ。
　その人物は……。
「天地兄ちゃん！！」
「砂沙美、どうしてこんなところに！？」
　そう、砂沙美が呼び出していた人物は天地だった。
「へっへー」
　砂沙美はいたずらっぽい顔を天地に向けた。両手は後ろ手にしている。
　天地は、なぜ呼び出されたか分からないってな表情だ。
　そんな天地に、砂沙美は後ろにもっていた物を差し出す。
「天地兄ちゃん、これ、受け取って！」
「え、でもこれは……」
　それは、砂沙美の手作りのチョコレートが入った箱だった。
　大きなハートマーク型をしたかわいらしい作りのチョコレート。天地は砂沙美が、これを楽しそうに作っていたのを知っていた。
　その時は砂沙美もそんな年になったのかなんて年長者ぶって優しく見守ってやるつもりだったが、まさか相手が自分だとは思わなかった。
　だって、俺と砂沙美は兄妹だし。
　義理チョコにしては、手が込んでいるし。
「砂沙美、これ……」
「し、何も言わないで、天地兄ちゃん」
　砂沙美が天地の言葉を制す。
「あのね、砂沙美ね、今はまだお子様だけど、いつかきっとステキな恋人が出来ると思うの。だから天地兄ちゃん、これはその時のための予行演習。今はまだ美紗緒ちゃんたちと一緒に遊んでいる方が楽しいけど、砂沙美がいつかきっとステキな恋が出来るますようにって」
　砂沙美は頬を真っ赤に染めながらも、一気にそれだけを言った。
　そして駆け出してしまう。
「だから天地兄ちゃん、それ食べてねー。砂沙美の自信作だからぁ！」
　砂沙美が去っていった方向を天地はぼんやりと見ていたが、やがて砂沙美から渡されたチョコレートの包みを見ると。
「やれやれ、砂沙美もませてきたな」
　そういって苦笑するのだった。
　そんな天地の様子を、校舎の影から見ている人物がいるわけで。
「天地の奴、どんな女に呼び出されたのかって思って来てみたら……」
「まあ、相手が砂沙美ちゃんなら仕方ありませんわね」
　それは、天地の様子が心配になって覗きに来た、魎呼と阿重霞だった。
　そして。
　砂沙美が駆け出して言った方向にも、一人の人影がいた。
「あれ、美紗緒ちゃん？」
「砂沙美ちゃん、ついて来ちゃった……」
　口に手を当ててうつむいている少女は、申し訳なさそうな顔をしていて。
　そんな美紗緒を、しかし砂沙美は。
「それじゃあ美紗緒ちゃん。一緒に帰ろう！！！」
「……うん！」
　二人は手と手を取り合って駆け出した。
　今はまだ、美紗緒ちゃんと一緒にいる方が楽しいから。
　いつか砂沙美ちゃんに好きな人が出来た時、応援できるように頑張るから。
　だから、もうしばらく一緒にいようね！

　バレンタイン・デー！
　それは男と女がカップルになれる、年に一度のチャンスの日。
　バレンタイン・デー！
　それは恋人達が熱い思いを伝えることの出来る、年に一度の聖なる日。
　男たちへ、女たちへ……。
　大人たちへ、子供たちへ……。
　恋人たちへ、夫婦たちへ……。
　そして、世界中の全ての愛する人たちへ……。